低いところで会いましょう
糸井重里(以下、糸井) ぼくも『知ろうとすること。』をつくるとき、共著者の早野龍五先生は、しゃべろうと思えばいくらでも高度な話ができる、「そんなの知らなかった」の話ができる方なんです。でも、そのおもしろい話は本の「ごちそう」として、ところどころで語っていただく程度にして。それよりも、みんなが「そんなの知ってたよ」と思っている部分について、時間をかけて話していただいたんです。
開沼博(以下、開沼) ええ、そういう本ですよね。
糸井 みんなが思ってる「知ってたよ」に対して、「ほんとうはどれくらい知ってるんだろう?」というところを、まるで親と子が温泉旅館でゆっくり語り合うくらいの速度でまとめていって。ほら、なんでしたっけ、専門用語がありましたよね? ロー、コン……テスト?
開沼 はい、ローコンテキスト化。
糸井 そうそう。ロー、コンテキスト化(笑)。
開沼 一応説明しておくと、これは文化人類学のことばなんです。ひと言でいえば、内輪話だらけのやりとりがなされる社会のことを、ハイコンテキストな社会と言います。
糸井 高度な社会、ということですよね。
開沼 はい。それで外からやってきた、一見さんでも通じるやりとりがなされる社会のことを、ローコンテキストな社会と言うんですね。糸井さんにとっての『知ろうとすること。』は、ローコンテキストな本ということになるでしょうね?
糸井 そうなります。でも、じつはそのローコンテキストの底に流れているものがあって。やっぱり、いくら「わかりやすく、ここまで言えたぞ」という表現レベルの達成があったとしても、根っこのところで「こいつは嘘をついてないな」っていう信頼が築けていないと、伝わらないんです。
開沼 ああ、そうですね。
糸井 コミュニケーションって「情報の貿易」だと思うんです。たとえば、異民族同士がはじめて貿易をするとき、根っこにあるのは約束なんですね。ひとつかもしれないし、ふたつかもしれないけど、数の少ない「約束できるもの」を目の前に差し出して、「最低限、こことここは認め合おう」と約束すること。その信頼関係があって、ようやく貿易がはじまると思うんです。
じゃあどうやって認め合うか。これについてむかし、「低いところで会いましょう」という文章を書いたことがあって。
開沼 低いところ?
糸井 ええ。たとえば、日本語を話すぼくが、英語を話すアメリカ人とコミュニケーションしようとしますよね。これって、ふたりが英語で話すにしても、日本語で話すにしても、そのコミュニケーションは「ちょっと程度の低いところ」で成立するはずなんです。
このとき、人って「あの着物の着方はおかしい」とか「あんなインチキな味噌汁を食べて」とか、どうしても「ないもの」に目がいっちゃうじゃないですか。あるいは逆に「日本人の発音はLとRができてない」とか。でも、たとえ日本人から見てインチキな味噌汁であったとしても、それを「うまい」と言ってくれたところからスタートするのが、信頼であり、コミュニケーションだと思うんです。
開沼 なるほど。
糸井 だから福島についても、高いところで会って、ぜんぶ理解し合うことを望むんじゃなくって、まずは低いところでのコミュニケーションを成立させていきたいんです。ぼくが『知ろうとすること。』でやろうとしたのは、そこだったんじゃないかなあ。早野先生という、あんなプロの踊り手を連れてきたのに、平気でぼくなんかのつたない踊りに付き合ってもらいましたから。そして、その「低いところ」でのダンスをおひとりでやったのが、開沼さんのお仕事だったわけで。
開沼 はい、そう言って頂けるとありがたいですね。その意味ではある程度まではうまくいきました。たとえば福島在住の方からも「こう質問されたときには、このデータを示して返せばいいんだ」とか「これで感情的な議論にならずに済む」といったリアクションもありました。そこはほんとうによかったです。
「当事者じゃなさすぎる」のジレンマ
開沼 一方で、「とはいえ、届かない人には届かないんじゃないか」とか「頭ごなしに否定する人には届きようがない」という思いも、当然あります。それでぜひ、本日糸井さんに聞きたかったことがありまして。
糸井 はい。
開沼 たとえばゲームソフトを開発するとき、どんどん技術が発展して、グラフィックもきれいになって、複雑化して、ひとつのソフトをつくるのに何億円もの予算が必要になってきたりする歴史もある。でも、みんながやりたいものって、けっきょくテトリスだよね、みたいなところがあるじゃないですか。
糸井 ええ。
開沼 だからといって、テトリスを何億もかけて3Dグラフィックにして複雑化しても意味がない。別にユーザーはそんなものそもそも求めちゃいない。なんでも複雑で高度なものにしていけばいいってものではない。むしろ、複雑化しても、どうやってテトリスぐらいみんなの手に取りやすいかたちで提供していくかを、本気で考えるのが重要だと思うんですね。これってまさに、どんどん高度化していく福島の問題、むずかしくて面倒くさいものになってしまった福島の問題と、まったく同じ構造なんです。
糸井 そうですね、ええ。
開沼 おそらく糸井さんは、70年代や80年代からずっとそういう部分、つまり「どういうふうにして、この商品を広めていこう?」「どういうふうに信頼を築きながら、社会に広めていこう?」というお仕事をやってこられたんだと思います。それで今回、福島の問題に関わっていくなかで、福島を伝えることは、過去のお仕事と比較してむずかしかったのか、あるいはほかの問題と似たところも多くて、ヒントのようなものがあるのか、そのあたりの感触を教えていただきたいんです。
糸井 まず、福島についてぼくは、すばらしいとんちだとか、すばらしい解決策だとかは、自分には編み出せない、って決めたんです。おそらく政治的言語としては「編み出せるんだ」って言いながら仲間をつくっていって、そこで集めた支持やお金を使って、幻想の力で前に進む、みたいな方法もあるんでしょうけど。それをやるには、ぼくはちょっと「当事者じゃなさすぎる」と思っているんです。
開沼 なるほど。「当事者ぶる」人は大量発生しましたが、その中で「当事者じゃなさすぎる」。
糸井 特に福島に関しては、最初に手をこまねいたことをはっきり覚えていますから。もう、「わからない」というところからはじまっているので。東日本大震災のあと、自分たちのダーツをどこに投げていいのかさえわからなかった。最初は東京からはじめるわけですよね。あのときは「東京にいる」という選択自体が、すでにダーツを自分のところに投げているようなところがあって。
開沼 出ていった方もいらっしゃるわけですからね。
糸井 そこの結論は、わりあい早く出せました。そのあとはなにができるのかわからないし、どうしても福島のことは「触れない」という期間が長かった。ああ言えばこう言う、のなかに巻き込まれて勝てるはずがないんで。
開沼 わかります。
糸井 ただ、火事場に集まってる野次馬のひとりとして、火を消すことはできないけども、人だかりのなかでスリや喧嘩を見かけたら「そりゃダメだろう」と声をかけることはできる。誰が見ても理不尽なことが起こっているときだったら、手を挙げることはできる。それをやる人間がいるだけでも、現場の仕事はラクになるはずなので。でも、自分にできるのはその程度のことだと思いながら関わっているのが現実なんです。ただ、ちょっとだけ見えているヒントはなにかというと、「風化」です。