美沙が出勤をすると坂井から営業陣全員に一通のメールが届いていた。
『営業部員各位 おはようございます。
本日の皆さんのデスクネッツを確認したところ、午前中は出張の予定がないようですので会議を行います。顧客リストを元に、皆さんの営業状況を確認します。10時に中会議室に集合願います。
>浅井さん
10時前にプロジェクターの準備をお願いします。』
坂井が来てから営業会議をするのは初めてのことだった。坂井は会議をするよりも、営業陣が客先訪問することを優先していたからだ。美沙は昨日彩名に聞いた坂井の裏の顔を思うと複雑な心境になったが、言われた通りプロジェクターの準備をし、10時前には会議室に集合した。
「皆さん、メールに記載した通り、この顧客リストを元に現状の営業状況を確認します。まず、営業訪問件数を先月の二倍にできなかった 人はいますか?」
早々に威圧的な問いを投げかけた坂井に、会議室は一気に墓場のような空気に包まれた。美沙は知っていた。少なくともここで手を挙げるべき人間が三人はいることを。上杉恵介、村中達也、東條和也、の3人だ。
誰も手を挙げる気配を見せない中、不意を見せてひょいと手を挙げた人物がいた。東條和也だ。
「私は二倍回れていません」
「東條くんは以前だいたい8件でしたから、二倍というと16件ですね。その16件を回る努力はしたのですか?」
「一応しました。でも、正直回ることに意味を感じられません。受注できるのかどうかはタイミングも重要ですし、実際需要があってもご覧の通り競合に負けるときだってあります」
東條はプロジェクターで壁に映し出されたプレゼンの勝敗結果を指しながら言った。そして、
「理由は坂井部長もおわかりだと思いますが。ノルマを課せられたら、モチベーションが下がるだけです」
この機会を逃すまいと、東條自身の主張をハッキリとした口調で言った。
「なぜ、競合に負けたのか、担当の東條くんにしかわかりません。教えてもらえますか?」
そんな決まったことを、と口には出さずとも顔面で露わにした東條は、大きくひとつ息をして続けた。
「技術力です。うちは最後まで客先の求める数字が出せませんでした。結局のところ、技術力なんです」
「そうですね。私もそう思いますよ」
身も蓋もない言葉に営業部一同が呆気にとられる。
「もしも、世界中に半導体装置を作っているのが我が社だけだったなら、そしてその技術力が世界随一のものだったら、営業をする必要はないでしょうね」
「坂井部長は、うちの製品は素晴らしくないということを遠回しに言っているんですか?」
草加壮太、また上げ足を取るような発言を……と瞬時に美沙は思ったが、坂井の切り返しには興味があった。
「はい」
「はい、って。営業部長がそんなことを言っていいんですか?」
「仕方がありません。事実ですから。営業は何のためにいるのか考えたことはありますか? 世の中の製品はほとんど完璧ではありません。この完璧というのは、需要に対して完璧ではないということです。だから売り込むのです。競合に打ち勝ち、会社の予算を達成するために。需要がないのに売り込む。言葉を変えれば、お客様が必要だと思っていないのに、言葉巧みに売りつけなくてはならないときもある。これは相当なストレス・心理的負担になるでしょうね。営業の仕事は本当に大変ですね」
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