ディナークルーズの船からは、あの時と同じようによく知られたジャズのスタンダードナンバーが聴こえていた。
これから船はハドソン川をゆっくりと北上し、たしかセントラルパークを超えたあたりでユーターンをして、ここからもうすこし南にある桟橋に戻ってくるのだ。四年前オレとお袋は、あの船のデッキで凍えながらこの川沿いの公園の灯りを見ていた。
「このあたり、前はかなりやばいところだったらしいです」
オレは船を見つめたまま、ベンチで隣に座る大石さんに言った。
「今はもう、ハイラインとかいう注目のスポットも近くて。すっかりおしゃれになっちゃってますけど」
「ニューヨークを舞台にした映画も、時代とともにずいぶん変わっていくね」
オレの情報は、すべて映画から来ていると思われているようだった。それを
「調べたんです。四年前、ニューヨークに来ることになった時。親父がこのマンハッタンに来たころは、いったいどんなだったのかなって」
「たしか柏原くんのお父さんは、市会議員だったよねぇ。何かの研修だったとか?」
「議員になるずっと前のことです。カメラマンになりたかったみたいなんです」
大石さんは北へ進む船を見つめていた。もういつものように穏やかな目をしていた。理知的で、几帳面で、天才的に絵がうまく、後輩の面倒もよくみる。原画を回収に何度か家にもお邪魔したが、二人の息子のよき父親であり、奥さんとも仲がよさそうだった。
「カメラマンかぁ。この街は、絵になるとこたくさんあるもんなぁ。四年前は、お父さん一緒じゃなかったの」
「親父は、もういないんです」
そのことに何の罪もない人に、咎めるような言い方になっていた。大石さんが喉の奥で何かを詰まらせたような音を漏らした。
「オレとお袋が親父がカメラマンになりたかったと知ったのが、四年前なんです。死んだのは、ずーっと昔で」
「––––––そうなんだ」
「お袋、それまで遺品をずっと整理できなくて。で、やっと片付けだしたら、蔵の奥に、この街を撮った写真がどっさり出てきて。お袋、すげぇー驚いて」
「だろうなぁ。ふだん、写真が好きだとか、そういう素振り、見せなかったんだ」
「はい」
船上のディナーは、次第に盛り上がってきたようだった。音楽がダンスミュージックに変わり、客のはしゃぐ声が夜空に飛んだ。あの時と同じタイムスケジュールで、船は業務を
「お袋、遺品も手ぇつけられなかったぐらいだから、親父の遺灰もずっと家に置いたままになっていて」
オレは船のきらきらとした照明を見ていた。同じものでも、見ている場所と気分とでずいぶん違う。あの晩船のデッキで見た時はあんなに暴力的に眩しかったのに、今は田舎の川に浮かべた送り火みたいに見える。
「で、親父がそんなにニューヨークで写真を撮りたかったのなら、遺灰を連れてってやろうって」
大石さんが、風に消えてしまうような声で言った。「それが四年前・・・」
「はい。オレたち、英語もアメリカの法律も分かってないから。それに格安チケットで来てるから、時間もないし。で、あの船に乗って・・」
「え?」
「ダンスで盛り上がってるアメリカ人に紛れて、親父の遺灰、この川に撒いてきちゃったんすよ」
大石さんに笑おうとして、それは中途半端に固まった。大石さんが呆れたように、口を開けていた。
「滑稽っすよね、今考えてみれば。迷惑な日本人親子っすよねぇ」
「あ、いや・・・」
その後の話をしようかするまいか、オレは一瞬迷った。だが迷ってるうちに、口をついて出ていた。
「親父、オレが小学校の時、自殺したんです」
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