それは命令ではなく、ルネおじいちゃん自身の選択だった。
1940年6月17日。当時のフランス政府を率いていたペタン元帥は、ラジオで「フランス人よ、戦いをやめよう」との演説を行った。正式な休戦条約が結ばれていないにもかかわらず、である。名前こそフランスと呼ばれても、当時のフランス政府はすでにドイツの手に落ちていたのだ。しかしこれを良しとしない人たちももちろんいて、その翌日には、「フランス人よ、戦い続けよう」と呼びかけた、シャルル・ド・ゴール将軍の歴史的な演説が行われた。
とはいえどちらの演説も、戦いのさなかにいたルネおじいちゃんの耳には入らなかった。混乱が続く中、おじいちゃんは自分自身で見抜いていたのだ。ナチスの罠に落ちず、戦い続けなければならない……と。
同じ「フランス軍」の中にも、それぞれの選択があった。
表向きには英雄と讃えられながらも、ナチスドイツの手を逃れられなかったペタン元帥。
一見負け犬のようにロンドンへ逃げてなお、反旗を翻したシャルル・ド・ゴール将軍。
そして、ドイツ兵に包囲された状態で休戦の報せを聞いても、戦いをやめずに包囲網突破を決意したルネ中尉。
「武器を捨てて捕まるより、俺は自由に向かって走る。ついてきたい者だけがついてこい!」
200人の兵士を前にそう言った時、ルネ中尉は22歳だった。その言葉は今、90歳を超えたルネおじいちゃんを通して聞いても、まっすぐな強さに貫かれている。
相変わらずルネおじいちゃんは、話を聞いているだけの私たちよりもずっとお酒の進みが早い。そのうえちっとも顔色が変わらないのだ。おじいちゃんは、グラスのワイン——ルネ夫妻の合言葉で言えば“お水”——で喉をうるおすと、人差し指を1本立てた。
「約100人。突破作戦に加わると申し出てきたのは、約100人だった」
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