町田樹の言葉にすがりたい
やっぱり町田樹の話から始めたい。近年、あんなにも心を奪われたスポーツ選手はいない。自分の美学を他人の目にぶつけて強固にしていくのではなく、ただただ自分の美学を完遂する。ソチ五輪5位という結果に満足できなかったのか、出版予定の本を先延ばしにし、周囲に告げぬまま、唐突に引退を表明し、かと思えば、大学院に入学した。先日、久しぶりにアイスショーに参加したが、シューベルトの作品を演じるにあたって、コメントを発表している。「不思議な懐かしさと共に、静けさと力強さ、そして未来への光を感じるシューベルトの音楽と共に、ご堪能頂けましたら幸甚に存じます」。彼は、細かい採点方法に沿う演技をするのではなく、自身の演技全体を作品として感じて欲しいというスタンスを貫いていた。久方ぶりの町田樹の言葉にうっとりする。これまで、「ご堪能頂けましたら幸甚に存じます」とコメントを締めくくるアスリートがいただろうか。
「いじめ、カッコ悪い」の功罪
最近、テレビでしょっちゅう見かけるようになった前園真聖が、「いじめ、カッコ悪い」と訴えかける公共広告機構のCMに出ていたのは、U-23サッカー日本代表キャプテンとしてブラジル代表を破った1996年頃のことだ。私は、今になって懺悔しなければいけない。当時中学生だった自分は、「いじめって、カッコ悪いよなぁ!」と前園を揶揄しながらガサツないじめを強めていくイジメっこを放置していたからだ。先生から「やめなさい」と言われたことから順番にやっていたあの頃。「いじめ、カッコ悪い」のような、何かを是正させようとする言葉を発見すると、むしろそれを燃料に使ってしまっていた。統計を取ることなど不可能だが、前園真聖の「いじめ、カッコ悪い」は、いじめを止めるよりも、いじめに新たな燃料を継ぎ足してしまったのではないか。
トークのバランスをとる前園
昨今、テレビ番組のあらすじを追っただけのネットニュースが多く、その手の記事で「ヤフトピとったぜ!」と歓喜に沸いている人たちと同化するのは本当に恥ずかしいので番組紹介を数行で済ませるが、三浦和良×中田英寿×前園真聖という3人で出演したトーク番組『ボクらの時代』で、三浦は「まだ好きな人がいる」と飽くなきキザ路線を強め、中田は一番後輩ながら足を組んで両者にタメ口、前園は二人のトークのバランスをとる進行役に徹していた。サッカー史においては、3人それぞれが無条件のスター選手だが、トークの最中、前園は常に一歩下がっていた。もう僕にはサッカーを語る資格なんてないんだからというスタンスでサッカーについて諸々語る中田が、そのまま突き進まないようにタイミングを見計らって戯れていく前園。