世の中捨てたもんじゃないので人格者って案外たくさんいる。
そして私は人格者が苦手だ。
人格者というのは日頃から、寛大な心で、世の中の悪意やドロドロとした闇を引き受けてくれている。我が身を削りながら社会を浄化してくれている神聖な存在だ。だから私はそういう人に出会うと、明日の明るい社会のために、なんとかこの人を守らねばならない。間違っても、自分からふとしたときに発せられる邪気で、ただでさえ疲弊している相手を一層疲弊させてはならないと必要以上に気構えてしまう。
しかし、一方の人格者はというと、相手が自分の前でリラックスしてくれることが何より大事、という思考なので、私が身構えている限り人格者もまた身構えてしまうのである。だから、人格者に最適な接し方というのは実は、相手の懐に飛び込んで、すっかり甘えきって、傍若無人に振舞うことにほかならない。しかし、だからって、こういったことを作為的にやったところで人格者にはやっぱり全てお見通しであって、わざと傍若無人に振舞っている痛々しい様子が却って負担になるわけで、最早手の打ちようがない。だから私は「この人は人格者だな」という人には努めてあまり接近しないように心がけ、ただ遠方より、折にふれてご多幸を祈るに留めているのである。
相手の懐に飛び込んで、すっかり甘えきって傍若無人に振舞う。一見身勝手なやり方が、ときに何よりの誠実さとなり得ることにはたと気づいたとき、私はなんとかこの技術を自分も身につけようと努力した。そうすれば、私のような煩悩まみれの人間にとって大変貴重な人格者という存在を少しでも癒すことができるし、また対人格者に限らずとも、相手に身を委ねられる人というのはえてして可愛げがある。ところが、理屈は分かっているのにどうしてもできない。ついつい空気ばかり読んで、相手の顔色にあわせた反応を返してしまうのだ。自分で言うのもなんだが比較的コミュニケーションスキルは高く、シーンに応じてコミュニケーションを円滑に運ぶためのあの手この手を使い分けることのできる私であるにもかかわらず、これだけがどうしてもできない。
なんでかなあと原因について考えを巡らせていたところ、あるとき思いがけずその原因がわかってしまったのである。
一言で言うと、そこには私の前世が関係していた。
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