ヒュー・ジャックマンも支持するアメリカの人生コーチ
「仕事でも愛情でも、すべてにPoor(劣っている), good(まあまあ), excellent(優れている)といろいろなレベルがある。君たちにはずっと夢見てきた高いレベルがあるはずだ。夢のようだが、それは実際に存在する。けれども、あらゆることを試みたのにうまくいかない。努力しているのに、何度も、何度も壁にぶち当たる。そんなとき、頭の中で『どうせ、できっこないさ』というささやき声が聞こえてくるんじゃないか? もがいている現在の位置から達成まで百万マイルもの距離があるように感じるはずだ。けれども、事実はそうじゃない。ふつうは、そこから勝利までたった2ミリメートルしか離れていないんだ」
大きな舞台の上でスポットライトに照らされた2メートルもの巨人が語りかけると、会場に集まった7000人の観客は息をひそめて次の言葉を待ちます。
コートを着ないと凍えそうなほど寒い会場なのに、黒い半袖Tシャツ姿の巨人の顔には汗の粒が光っています。
この巨人こそが、ビル・クリントン元大統領や投資家のジョージ・ソロス、テニス選手のアンドレ・アガシなど多くの有名人をクライアントに持ち、「世界一の人生コーチ」と呼ばれるアンソニー(トニー)・ロビンズなのです。貧しい家庭の出身で大学教育は受けていないものの、17歳からの2年間に人生哲学や心理学に関する本を約700冊読み、講演やセミナーに参加して自分なりの人生哲学を作り上げたという典型的な「叩き上げ」で、まったくの無名から独自のライブセミナーでファンベースを広め、フォーブス誌が『セレブ100人』に選ぶほどの達成を果たした人です。
ロビンズは、愛情関係、ビジネス、人生と貯蓄、といった特別なマスターコースも開催していますが、それらすべての入門編といえるのが「UPW(Unleash the Power Within)」という入門編セミナーです。それぞれの人が内側に持っている成功と幸せを得るために必要なパワーを引き出すという内容で、2015年3月にニュージャージー州で開催されたUPWセミナーは大雪にもかかわらず満員で、7000人の熱気が充満していました。
優しく語りかけていたロビンズの声のボリュームがしだいに上がり、舞台を動き回るペースが速くなります。
「Excellentからたった2ミリメートルしか離れていないこのレベルのことを何と言うか知っているかい?」
7000の頭の中で単語を探して辞書のページをめくる音が聞こえるようです。
「それはOutstanding(卓越)だ!」
そう言ってからロビンズは観衆を見渡し、畳み掛けるように尋ねます。
「2ミリしか離れていないこのレベルは何と呼ぶんだい?」
席から立ち上がっている観客はいっせいに大声で答えます。
「Outstanding!」
「たった2ミリしか離れていないのに、多くのExcellentな優れた人がそこで諦めてしまう。だが、ここに集まった誰もがOutstandingのレベルになれる」
ロビンズの動きを目で追い、言葉をすべて拾おうとする人々は、まるで催眠術にかかったようです。
「この理想的な心理状態に自分を持って行くよう繰り返し練習するんだ。筋肉のように使えば使うほど鍛えられる。毎日この状態に保つんだ。イエスかノーか? Say yes!」
「Yes!」
拳を振り上げて観客が答えると、立て続けにロビンズが要求します。
「Say yes!」
「Yes!」
会場が盛り上がってくると、今度はビートが効いたロックミュージックが流れてきます。それに合わせてみんな飛び上がり、ロビンズに促されるまま大きな叫び声を上げ、力いっぱい踊ります。
じつは、私の左側のすぐ近くで拳を振り上げて「Yes!」と叫び、リズムにあわせて踊っているのは、なんとX-メンのウルヴァリンで知られるヒュー・ジャックマンなのです。
なぜ私がこんな所にいるかというと、ロビンズが私たち夫婦を招待してくれたからです。私の夫は昨年からロビンズのビジネスコースで講演をするようになり、入門編の内容と参加する人々を理解するために来たのでした。私たちがいるのはステージ脇の招待者席なので、ヒュー・ジャックマンもたぶんロビンズに招待されたのでしょう。多くの有名人のコーチをしているのは知っていましたが、その中にジャックマンもいたのは驚きでした。もしかすると、俳優としての次の展開を考えているのかもしれません。
朝から深夜まで休憩無し! 火渡り! セミナーの過激すぎる内容とは?
ロビンズのUPWセミナーは、「セミナー」という名称から想像するような典型的なものではありません。「●●学」、「●●講座」といったテーマでの区切りはまったくなく、初日と3日目はロビンズが単独で一日中講演をし続けます。しかも、朝から深夜(ときには深夜過ぎ)まで休憩なしです。
参加する前から「休憩はないよ」と忠告されていたのですが、食事休憩すらないのにはびっくりしました。自分でおやつを持って行くか、講演の途中で立って会場のロビーでスープやスナックを買い、席に戻って食べるしかないのです。一度だけ空腹に負けてスープを買ってきたのですが、日本で生まれ育った私には人の話を聞きながら食べ物を食べることに抵抗がありすぎて、味なんか楽しめませんでした。翌日からは、遠慮しつつエネルギーバーをポリポリしましたが。
「じゃあ、トイレ休憩はどうするのか?」と思いますよね。
それは、ダンスの時間にそっと抜けるのです。ロビンズも、座って聴いてばかりだと集中力が落ちることを知っていますので、会場のエネルギーが落ちてきたのを察知したら、突然立ち上がってダンスタイムが始まります。周囲の人とマッサージを交わすアクティビティもあります。その後、席を離れて歩きまわり10人くらいとハイタッチやハグを交わすよう言われるのですが、これを繰り返していくうちに、最初のうち疲れた顔をしていた人が元気な笑顔になり、冷淡で距離を保っているように思えた人がフレンドリーになっていくのですから、不思議なものです。(じつは、ジャックマンともハイタッチしちゃいました。でも、さすがにマッサージとハグは遠慮しましたが。)
こうやって4日間睡眠不足で肉体を酷使させるのは、それぞれが持つ抵抗を崩壊させて一気に変わらせるためのテクニックでもあり、アメリカの軍隊が使う方法と比べる人もいます。参加者も大変ですが、休憩なしで一日中単独で講演を続けるロビンズの超人的な気力と体力には驚愕せずにはいられません。こんなところにも彼のカリスマ性を強く感じます。
もうひとつロビンズのUPWセミナーで有名なのが、真っ赤に焼けた炭の上を歩く『Firewalk』です。
なぜ「成功」に火渡りが必要なのか?と最初は疑問でしたが、達成や幸せを妨げている「恐怖」に真っ向から立ち向かって乗り越えることのメタファーなのだとか。
私は「成功」には興味がないし、怖がりなので、参加前には「火渡りなんか絶対にしないよ!」と夫に宣言してきました。
ところが、火渡りの寸前にロビンズ氏が私たち夫婦を含む少人数をステージ裏に招待し、会場に先導してくれるではありませんか! ミーハーな私はロビンズに耳元で「芝生の上に立って。Say Yes!」とささやかれて、「きゃ〜」と興奮。気づいたら、真っ赤な炭の上を歩き終わっていました。
スターパワーに舞い上がってセミナーでの教えをすっかり忘れていた私とは異なり、火渡りをした人の多くは「マインドセットさえ変えれば、なんでもできる」という実感を得たようです。「ちょっと水ぶくれできちゃったけれどね」と言いながらも嬉しそうにしているのは、「挑戦するときにはこの程度の失敗は起こる。でも、想像したほど怖いことではなかった」という体験が自信に繋がったからでしょう。
アメリカンドリームは死んだのか?
以前このセミナーに参加して人生を大きく変えた人たちがボランティアとして働いているのも参加者には刺激になります。「私はこうやって人生を変えた」、「セミナーに参加したときには無一文だったのに、事業を初めて今では年商数百万ドル」という体験談をあちこちで耳にすることができるからです。
参加者にランダムに声をかけて尋ねたところ、動機は「キャリアを変える勇気を得たい」「中だるみしている事業を活性化させたい」「ぎくしゃくしている夫婦仲を改善したい」といった具体的なものから、漠然と「成功したい」というものまでいろいろです。でも、ここに来ることで「人生を変えたい」という渇望は同じです。
会場の熱気には、(悪い意味ではなく)ちょっと宗教的なところがあります。それもそのはず、会場に来ている人々は、みんなロビンズが実現した「アメリカン・ドリーム」を自分も実現しようと、800ドルから3000ドルをはたいてやって来ているからです(コンサートのように、席によって価格が異なります)。「こんなに払って損した」という人に誰一人として出会わなかったのも印象的でした。
「誰でも努力すれば成功する可能性がある」という「アメリカンドリーム」は、アメリカ合衆国を根底から支える成功の概念です。
アメリカ建国前後のヨーロッパでは階級制度や国の抑圧があり、多くの人には宗教や職業を選ぶ権利、土地を所有する権利がありませんでした。どんなに才能があっても生まれついた階級から這い上がることができない人々にとって、アメリカはリスクを取って移住するに値する新世界だったのです。
移民を魅了し、アメリカ合衆国を経済大国に育てる推進力になったアメリカンドリームですが、最近メディアで「アメリカンドリームは死んだ」とよく目にするようになりました。お金持ちが富を独占して貧富の差が広がり、中流階級が空洞化し、教育の機会の均等がなくなったために成功の機会もなくなったというものです。最近ベストセラーとなったピケティの『21世紀の資本』でも、そういった主張が展開されていました。
でも、私は「アメリカンドリームは死んだ」とは思わないのです。なぜならば、「アメリカンドリームとは神様や妖精のようなものではないか」と思っているからです。
学者や政治家がデータや数字を使って「アメリカンドリームはもはや存在しない。死んだ」と説明しても、アメリカ人そのものが「いや、そんなことない。がんばれば成功できる」と信じているかぎりはアメリカンドリームは存在するし、生き続けるのです。だからこそ、2006年のロビンズのTEDトークは歴代トップに属するビューがあり、ロビンズのセミナーはスタートから20年経った現在でも人気が衰えることがなく、アメリカでの入門編セミナーには毎年1万5千人が新たに参加するのです。
この連載では、そうしたアメリカン・ドリームが現在どんなかたちで実現しているかを始めとした、「知られざるアメリカの現在・過去・未来」をお伝えしていければと思います。
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