cakesの読者のみなさま、「傷口から人生。」お楽しみいただけましたでしょうか。
この本の裏のテーマは、「言葉」。
私がこれまでの人生で、「背中を押された言葉」、「進まなかった言葉」、そして「世界の見方が変わった言葉」たちと、その言葉を人からかけられた時のエピソードを、25の章で描いている。
「自分が何者であるか悩んでいた時から、小野さんを守って、背中を押してくれた言葉を探してきてほしい」という担当編集者さんのメールが元となって、そんな本になった。
人生のルービックキューブがかちりと回って、世界の見方がぐらりと変わる瞬間は、いつだって他人の言葉が、そっと指を添えてくれている。そういう気持ちで書いた。
で。
そんなこんなで、最終的には40本くらいの原稿を書いたのだけれども、その中で、最終的にこの本に収録されなかったエピソードがいくつかある。
その中に、「結婚」について書いたエピソードがあった。今日はそれについて、書こうと思う。
cakesさんでも様々な知識人、著名人の方が書いている「結婚」。
私の周りにも、結婚できないことに悩んでいる人は、たくさんいる。
たいていの場合、そういう人はあらかたじたばたして、自分が結婚できないという事実を受け止めきったあとに、腹を決めてあきらめている。
あきらめたとたん、結婚したりするから、不思議なもんだ。
でも、そもそもなんで皆、「結婚できない」というだけで悩むんだろう。
一人で納税して、ごはんをたべて、仕事して。一人だってじゅうぶん完成しているはずなのに、法的に2人組になれない、ただそれだけで、なんだか未完成品みたいな気がしてしまう。
結婚できない、というだけで、なんとなく、社会の網の目から取りこぼされたような気がしてしまう。
自分の、本当は手で触って確かめてみれば、確かにそこにあるはずの半身が、なんだか本当は無くって、すかすかのような気がしてしまう。
なんで、こんな気持ちになるんだろう?