詩は書けないけれど、詩に近い書き方はしている
詩人である管さんと、小説で表現するよしもとさんの、「詩」の捉え方の違いとは。
管 『鳥たち』では、詩も重要なモチーフになりますね。メキシコ・インディオ古謡の『チョンタルの詩』から引用されます。この歌のどこに魅力を感じたんですか。
よしもと どうしてこんな言葉の使い方ができるんだろうと、驚いてしまうんです。メキシコのほうの古代史や古代思想の言葉遣いって、ほんとうに特別だなと思う。
管 ぼくの本来の専門分野はエスノポエティクス、民族詩学です。詳しくは『野生哲学』(講談社現代新書)を見ていただきたいのですが、なぜそこに興味を持ったかというと、ひとことでいえば、そこに宇宙論があるから。先住民の思想では、人間が宇宙のどういう位置にいるかということが、いつだって大問題なんです。そこを出発点にすると、太陽や月、星に興味を持たないわけにはいかないし、植物や動物と人との関係も考えざるを得ない。人間の社会は人間だけのものであって、昔から変わらずにあるという、いま自明のように扱われる人間中心主義とは、対極にある態度です。
世界の先住民たちはいつだって、なぜ人はここにいるのかということを、一歩ずつ考えていきます。なぜ雨が降るのか、この植物がここに生えているのは何を表すのか。自然のなかのあらゆることが、考えるべき問題になる。北米でも南米でも、世界中のあらゆる先住民は、宇宙のなりたちをまっすぐに問題にしてきました。
よしもと 北米にもネイティブアメリカンに伝わる言葉や詩がありますが、どうしてメキシコの古代の言葉はあんなに独特なんですか。
管 それは、アメリカ大陸全体において、北も南も合わせて、かつて文化的な中心地がメキシコだったことが関係するかもしれない。最先進地域だったんです。メキシコのあたりは古くから圧倒的に人口が多くて、そこに大都市が成立して、口承文学が興った。複雑な言語表現が生まれる素地があったんですね。
それと無視できないのは、現地の詩が日本語に訳される過程で、メキシコの詩はまずスペイン語に訳される。北米の詩はまず英語に訳されますよね。それぞれのバイアスがかかる。スペイン語は詩をすごく大切にする言語ですから。そんな言語や文化の土壌の違いはあるかもしれません。
よしもと なるほど。謎がひとつ解けました。
管 詩といえば、ばななさんは子どものころから、詩にずいぶん親しんできたんでしょう?
よしもと それほどでもないとは思いますけどね。ただ、詩は「最初の表現」って感じはします。文学になる前のものというか。いまの日本の人は、もっと詩を読んだり書いたりするといいんじゃないかな。
管 でも、ばななさんも小説を書いているわけですね。ずばり、詩と小説の違いは何ですか。