はぁ。イカンイカン。溜息はイカン。とは言いつつも、自然と息が漏れてしまう。この頃の美沙は、呼吸だと自身に言い訳をすることですらままならなかった。
「浅井さんの『空気が違う』という発言は、何を意味しているのか、教えてくれますか?」
昨日の面談から坂井の低い重い暗い……とかく、人の鋭気を一滴残らず吸い取るヒルのような坂井虎男の声が、美沙の脳裏に事あるごとに浮上した。もう美沙は虚脱状態だった。坂井の納得する回答などおそらくない。自分の本心を打ち明けることが最善の道なのだ! そうなんとか自身を鼓舞し、いつもの中会議室へと向かった。
*
「浅井さん、『空気が違う』という発言は、何を意味しているのですか?」
しっかり、先日と同じ質問が繰り返される。美沙はとりあえず用意をしてきた言葉を口にした。
「何だか覇気のない職場の空気でしょうか」
「それで、自分には空気が合わないと?」
「はい」
「浅井さんは、活気に溢れているのですか?」
そう言われると、そうでもないだけに……言葉に詰まる。
「浅井さんも同じじゃないのですか?」
やはり一筋縄ではいかない。
「いや……なんでしょうか、あたり前のことが守られない空気と言いますか……」
「何ですか? あたり前のことが守られない空気とは?」
「提出期限とか」
「そうですか。それで空気が違うと感じるわけですね?」
「……はい」
「空気が違うと、浅井さんにはどのような支障をきたすのですか?」
どのような支障? モチベーションが…… 瞬時に浮かぶそのフレーズを急いで呑み込む。
「どうしましたか? 支障がなければ、辞める必要はありませんよね?」
やはりもう、正直な気持ちを話すしかない。
「自身のモチベーションのことは、わかりました。仕事にモチベーションが関係ない。ということも理解したつもりです。ただ、周りの空気によって、やはりモチベーションが下がることがあるのも事実です。それは自分ではどうしようもない事実なんです。そんなことに左右をされていてはダメだ、と以前坂井部長はおっしゃいました。確かにそうかもしれません。そうかもしれませんが、仕方がないことなんです。自分でも気持ちをコントロールすることができないのですから!」
「仕方がない、ですか」
『仕方がない』というフレーズだけを切り取られると、いかにも怠惰な人間だと言われているようだ。
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