「なにこれ?」
長テーブルの下に潜っていた祐介が、摘まみあげたピースを見せた。それは、ひとつだけ無くなってしまったピースで、親父が厚紙を切り抜いて作ってくれたものだった。隣り合わせになるピースに合わせてサインペンで線を描き、色鉛筆で似たような彩色がしてあった。
「それは、一番最後にはめるんだ」
「最後に?」
「チャンチャンって言ってね。特別のルールなんだ」
オレと親父は、そのジグソーパズルを何度もやっているうちに、どちらが言い出したのか、そのピースを最後にはめて終わらせることにした。はめるときに、決まって親父が「チャンチャン」と節をつけて言った。だから親父が死んで、ひとりでそのパズルをやっていた時も、最後は「チャンチャン」と呟いた。そうやって一年、二年と過ごしたが、あるとき「チャンチャン」と言うのが急に腹立たしくなり、ジグソーパズルをやめた。
祐介は完成図を広げ、ピースを並べ始めた。
小さな指がいくつかのピースを合わせ、島を作っていく。時おり、ピースを持ちあげた手が宙を彷徨うと、オレはタイミングを見計らって置くべきところを指差した。祐介が、そうかと声にならない声をだしてピースを置く。そのわずかな繰り返しの細い糸が、オレとこの子との繋がりだった。
父親が死んだと訊かされても、たぶん祐介はすぐにはどういうことだか分からなかったはずだ。しかも自殺という訊き慣れない言葉が飛び交っても、祐介には、そしてあの時のオレにも理解できることじゃなかった。もともと父親が死んだことなど認めようとしないから、自殺なんて言葉を理解しようと思わないのだ。
そしてやがて親父がこの世界から消えたのだと自覚するようになると、今度はどうにもならないほどの腹立たしさに包まれることになる。体温は異常に上昇し、あらゆるものに暴力的になった。
その矛先はまっさきに一番身近な母親に向けられ、やさしくされればされるほど怒りは膨れ上がり、当たり散らした。母親は涙を溜めて必死に受け止めてくれたが、その涙はオレの涙を瞬く間に乾かし、顔からあらゆる表情を奪っていった。オレは能面のように固まった顔で暗い谷底に沈み、わずかに残った酸素を吸いつないで過ごすようになった。今の祐介は、たぶんあのときのオレとそっくり同じなのだ。
さっきオレがロビーで祐介の母親にお辞儀した時、仲間の女の子が囁いた。あの子、学校に行くようになったんだって。お母さん、柏原くんに感謝してたよ。
学校に、復帰する。
だがそれは、母親以外にも腹立たしい存在が増えることだ。
◆
おお、柏原、大丈夫か。待ってたんだよ。ほら、休んでた時のノート、貸してあげる。
オレが学校に戻ると、急に友だちが増えた。クラスの中で隅っこにいたオレが、一躍隣のクラスや違う学年の子たちまでが注目する存在になっていた。毎日うんざりする笑顔で迎えられ、オレを嫌ってた教師までもが声をかけてくる。何かあったら、先生に相談しなさい。いいね? なんだっていいんだよ。
幼心にも母親に当たったようにはできないことを知っていて、腹の中にどんどん重たいものが溜まっていった。うるさい。みんな、うるさい! だが反発する対象があるうちは、まだよかったのだ。
周囲からの誘いを無視し続けると、じきに彼らからの熱い眼差しは遠ざかっていった。誰もオレを見なくなる。誰もオレに話しかけない。集団の中で、自分がしだいに幽霊になっているのが分かった。誰かと偶然ぶつかりそうになっても、きっとオレの霊体は何の衝撃も受けない。
外に向けて反発も怒りもなくなると、あとは自分自身に向かうしかなかった。
一日中ジグソーパズルをやり「チャンチャン」が腹立たしくなると、今度は録り溜めたアニメを繰り返し見た。そのアニメの超合金のフィギュアを握りしめ、意識もせず覚えてしまったセリフを呟き続けた。そしてある結論めいたものにたどり着くのだ。
もしかして、ぼくも。
父さんと同じように、自殺するんだろうか。
自殺って遺伝するらしいよ。それは人から聴こえてきた虚言だったのか、思い詰めた自分が勝手にこさえてしまった至言だったのか、どちらにしてもオレの体から永遠に消えない真理として染み付いた。
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