「呼吸停止」が「死」ではないかもしれない
自分の死を看取るのは誰か、想像したことはあるでしょうか?
家族や親戚、友人や仕事仲間たち……。
誰もが、大切な人々を思い浮かべることでしょう。
日本では「死に目に会う」ということが、とても大切にされています。確かに、最後の呼吸の一瞬に間に合うことを、大切に思う気持ちは分からなくはありません。
しかし、「死の瞬間」というのは、実は曖昧なものです。医師は、「呼吸停止」が目に見えて分かったとき、心停止、瞳孔を確認して、死を宣告します。しかし、これはすべての細胞が死んでいることを意味しているわけではないのです。
また、ひとが死を前にしたとき、はっきりと目が見えているかどうかは明らかになっていませんが、耳は最後まで聴こえている可能性が高いと言われています。呼吸停止、心停止した瞬間であっても、周囲の方々の声が聴こえていないとは言い切れないのです。便宜的な死の時間をもって「ああ、間に合わなかった……」と悲しまれる必要はないと思います。それに、がんのような病気の場合は、そのようなギリギリの状態になる数日~数週間前のほうが、意思疎通がしやすいものです。その頃ならば、答えが返ってくるコミュニケーションが十分にできます。
だから、私は「呼吸停止一点主義」で、最後の瞬間に絶対に間に合うことを重視し、逆に言えば、それ以外のことに少し疎かさが出てしまうことを、懸念しています。
さて、話を戻しましょう。皆さんも、さきほど思い浮かべたように、いつか誰かに送られ、その死に顔を見つめられることになります。そのときに誰にそばにいてもらいたいかを今から考えて、人間関係を築いていくといいのかもしれません。今回は、私が立ち合わせていただいた現場の中から、ある方をご紹介します。
3人の女性に見送られた男性
藤田さん(仮名)という60代男性は、3人の女性に見送られました。50代の奥さんと、30歳、25歳の女性です。奥さんと、2人の娘さん……ではありませんでした。
ことは1か月前、入院してしばらくにさかのぼります。藤田さんはすでに進んだ胃がんであり、もはや治療ができない状態で、余命は数週間でした。医師は付き添ってきた娘さんと思しき30代前半の女性に病状を説明しました。
「娘さんですか?」
「いえ、違います」
「……奥さん?」
「いえ」
「……親戚ですか?」
「血のつながりはありませんが……似たようなものです」
なんと彼女は愛人1号さんだったのです。
数日後、今度は20代と思われる女性が藤田さんの見舞いに来られました。
「ひょっとして娘さんですか?」
病棟スタッフが尋ねると、伏し目がちにその女性は答えました。
「いえ、違います」
——まさか、ひょっとして、あ……
看護師の脳裏に漢字二文字が浮かびました。
「斉木さん(注:愛人1号さんのお名前、仮名)から聞いてやって来ました」
山村さん(仮名)と、その女性は名乗りました。終末期でかすれ声しか出てこない藤田さんに、山村さんは涙しつつも、身体をさすってあげたりと何くれとなく世話をしました。
「愛人2号さんなんだって」
スタッフの報告。なんと、藤田さんには奥さんの他に、30代と20代の愛人がいて、どちらとも数年以上に及ぶ長い関係でいらっしゃったのです。
私がこの話を男性にすると、「その藤田さんってどんな人だったの?」と聞かれます。藤田さんは、アパート経営が収入の糧でした。もちろん全国平均の給与から比べると、稼ぎは多い方でいらっしゃいましたが、妻と2人の愛人を養うほどではないように思えます。聞いてみたくとも、私が出会った藤田さんは、ほとんど話ができなくなっていました。
「だから、なぜそんなに愛人がいらしたのかわからないんですよ」
「それじゃ駄目でしょう? その秘密を暴いてくれれば、すごかったのに」
男性が相手の場合は、そうやって残念がられますが、藤田さんがなぜ女性たちとそのような関係を持つに至ったかは、もう闇の中です。
実は、医師をしていると、これだけ様々な看取りの現場があることに、驚かされます。40代のお子さんの死を、70代の両親が看取った例もありました。50代の経営者の死を看取ったのは、長年連れ添った「愛人」ではなく、この数十年別居していた「正妻」だったということもありました。逆に、60代の進行がんの患者さんは奥さんに離婚され、死を看取ったのは長年友人で、最後に付き合うことになった恋人だった例もあります。
もちろん、誰に最期を看取ってほしいかは、究極的には選べません。しかし、様々な力が働き、誰かが看取ります。ひとつ、ただ独り身のみなさんも、さみしがらなくて大丈夫です。医療者や介護者はひときわ熱心なスタッフが揃っています。時に家族以上にみなさんを看取ってくれるはずです。
さて、藤田さんは、どうなったでしょうか?
その後わかったのは、奥さんは藤田さんと没交渉になっているものの、愛人さんが2人もいることはまったく知らないということでした。一方で、愛人さん同士は、お互いが存在することを知っていたのです。そのような不思議な関係が少しずつ明らかにされてゆく中、日に日に藤田さんは弱っていきました。
そんなある日、医療スタッフは衝撃的な光景を目にしました。斉木さんと山村さんがいるところに、なんと奥さんがやって来られたというのです。
——こ、これは……
スタッフにも緊張が走ります。
しかし、スタッフが部屋を訪れて目撃したのは、まさに声も出せずに衰弱する藤田さんを、3人の女性たちが「温かく」介護する姿でした。
「本当にしょうがない人ですからね……斉木さんたち、ありがとうね」
なんと斉木さんたちは、奥さんにも藤田さんが終末期であることを伝えたのでした。奥さんは飛んできました。
「みんなで、見守りましょう」
奥さんは、愛人さんたちを遠ざけることなく、3人でローテーションを組んで介護することになったのです。その後、程なくして、藤田さんは、もっとも近しい人たちに見送られながら、逝かれました。こうしたとき、修羅場になることが多いものです。奥さんに私たちが知らせるべきだ、と動いた愛人さんたちもすごいですが、その事実を聞き知っても穏やかに「3人で見守ろう」とした奥さんもすごいです。
「大津先生、奥さんたちはどうしてそう行動したのですか?」
ある宴席の場。この話を私がすると、ある女性がそう言いました。もちろん、私には分かりません。藤田さんの経過はあまりにも早く、奥さんたちともゆっくりとお話をする時間はなかったのです。
「ただ、スタッフは、斉木さんに『藤田さんってどんな人だったんですか?』と聞いたことがあるそうですよ」
「え、それで? それで?」
身を乗り出す女性。<愛された男>の秘密が知りたいのです。
「『優しかった』んだそうです」
「なんじゃそれ」
人の世界は、これだけ死の現場を見てきている私たちにも、容易に答えを教えてはくれないようです。ただ、たとえ選べないとしても、「最後に傍にいてもらいたい人」を考えることは、あなたの人生を変えるかもしれません。
※登場する方の名前はすべて仮名です。
(『死ぬまでに決断しておきたいこと20』より抜粋・要約)
25万部を超えるベストセラーとなった『死ぬときに後悔すること25』の著者、1,000人以上を看取ってきた緩和医療医師・大津秀一さんの新作『死ぬまでに決断しておきたいこと20』が2/20に発売されます。
終末医療から見えてくる、理想の最期について、ぜひ本書をお手にとってご覧ください。
【目次】
1 自分の病気について知るべきか、否か
2 耳に心地よい話を信じるか、否か
3 家で死ぬのか、病院で死ぬか
4 かかりたいのは遠くの名医か、近くのヤブ医者か
5 財産を残して逝くのか、文無しで身軽に旅立つか
6 身の回りのものをいかに処分するか
7 葬儀をするのかしないのか、海に位牌を撒くのか
8 成功例の真似をするのか、否か
9 今しかないとやるのか、後回しにするのか
10 最後まで男/女を貫くのか、そこから脱するのか
11 成功をしゃにむに目指すのか、他の価値を見つけるか
12 最後に傍にいてもらいたいのは誰か
13 治療の決定権は自分か、家族か
14 緩和ケアを受けるのか、否か
15 延命治療を受けるか、否か
16 免疫療法に走るのか、否か
17 絶望して生きるのか、否か
18 この世を諦めるのか、諦めないのか
19 死ぬことを怖がり続けるのか、否か
20 愛がそこにあることに気がついて逝くのか、否か