コレがよくてアレはダメという美意識(というかセンス)に関しても、水玉さんはまったく揺るぎがなく、同時に、自分の仕事や自分の立ち位置に関する評価もおそろしく厳しかった。
実兄の岡部いさくさんは、訃報を受けて、ツイッター上で以下のように書いている。
ずいぶん前だけど妹が、自分の仕事は画集や単行本として残らなくていい、消えてなくなるものだ、と言ってた。ご大層なものにならない、祀り上げられるようなものにならない、という自分と仕事に対する矜持は、私なんかよりもっと強かった。妹は私にとって航法参照点でもあったんだよ。
自分が偉くなったり、自意識を満足させるより、「ぎゃはは、こりゃおかしい」「こりゃ面白い」と人様が、自分が感じる瞬間だけのために絵を描く、っていうのを妹は目指してたんだろうな。そのために妹はいつも”橋を焼いて”描いてたんだろうと思う。我が妹ながら恐ろしい奴だったよ。
だからいつも「水玉のように面白く描けてるか?」「水玉のように逃げ場なしで描いてるか?」というのが気になってる。絵は妹の方が断然上手いしね。いや、上手かったしね。
結局、水玉さんの連載をまとめた本は、ごく初期の『こんなもんいかがっすかあ(上・下)』(およびその新装版)と、〈Theスーパーファミコン〉の小野不由美さんの連載コラムに毎回イラストをつけていた『ゲームマシンはデイジーデイジーの歌をうたうか』ぐらいしか出ていない。
SFマガジンの連載を単行本化しましょうという申し入れは、僕が知る範囲でも、「SFまで10000光年」のころから何度もあったはずだが、水玉さんはなかなか首を縦に振らず、企画はついに実現しなかった。
もっとも、吉田さんによると、家庭内では、「これを単行本にするとしたらどうすればいいと思う?」と編集者だった夫の人に相談したりしていたそうなので、まとめたい気持ちは密かにあったらしい。持病のメニエール病でたいへんなときも、この連載だけは落としたくないとがんばっていたとか、水玉さんにとってもとりわけ大事な仕事だったのはまちがいない。単行本化に気が進まないふうだったのは、水玉さんの韜晦か、てれだったのか。もし「SFまで~」が本になっていたら、もっと多くの人に読まれ、評価されていただろうにと思うと、返す返すも残念でならない。
いまからでも遅くはないので、ぜひ、「SFまで10000光年」と「SFまで100000光年」の単行本化を実現してください。