「筒井康隆」のブランドで純文学を売る
── 筒井さんは文学の歴史の中でも独特の立ち位置ですよね。SF小説からスタートし、エンターテインメントから純文学までの幅広い作品を発表し、そのどちらでも高い評価を得てきたかと思います。初めの頃は、エンターテインメントを書こう、とお考えだったんですよね?
筒井康隆(以下、筒井) 今度、こういうのが出るんですよ(『愛蔵版 筒井康隆コレクション』日下三蔵/編 全7巻予定)。いま出ている本では読めないものばかり集めたものなんですけど、そのなかには、僕がまだ上京してきてプロの作家になっていない、同人誌の「NULL(ヌル)」時代のものも入ってる。さすがにそれは読み返せなかったね。ちょっとだけ読んでみたら冷や汗が出てきた(笑)。
── あはは。そんなにですか。「NULL(ヌル)」は1960年代に創刊したSF同人誌ですね。
筒井 第一号が出たのが25歳のとき。それから5年後に最初の作品集の『東海道戦争』が出てプロの作家になった。同じ年に処女長編の『48億の妄想』が出るんだけど、それが今回、このなかに入るっていうんで久々に読んだんです。
感心したのが「NULL(ヌル)」時代から文芸的に進歩していておもしろいんですよ。自分の書いたものじゃないみたいに読みましたけど。
── その「進歩」はなぜでしょう?
筒井 なんでしょうねえ。わからんねえ。必死だったのかどうなのか。
── 文芸的に進歩しようと努力された?
筒井 もちろん。そんなに意識的に考えていたわけじゃないけど、いろいろな本を読んで勉強はしましたね。小説にはいろんな書き方があるんだ、ということを勉強したのがその数年間じゃなかったですかね。
── 量もかなり書きましたか?
筒井 いま、この『筒井康隆コレクション』を出してくれている出版芸術社の会長の原田裕さん(講談社、東都書房を経て出版芸術社を起業)のところに長編を持ち込んだんですね。ちょうど眉村卓が処女長編の『燃える傾斜』を原田さんに出してもらったから、こっちも敵愾心を燃やして、400枚くらい書いたのかな。ぜんぜんダメだった。箸にも棒にもかからない。
自分で作った伝説なんだけど、淀屋橋の上から淀川に原稿を投げ込んだという。ところが、この間、抽出しを整理したら出てきた。読みかえしたら、やっぱりダメでしたね。文芸的にも何もムチャクチャ。視点も何もかもあったものじゃないですね。
── 小説としてダメだったということですか。
筒井 原田さんは視点がムチャクチャとは言わなかったな。ここの文章は乾いていていいじゃないですか、と言われて。こっちも必死になって考えるわけですよ。“乾いた文章”かと、それでヘミングウェイを読んだんです。彼は一人称のああいう文体でしょう。これでいってやろう。それでやっと成功した。
── その後も、『虚人たち』『残像に口紅を』といった実験的な小説も書かれていますが、売れる、売れないはどう思われていたんですか?
筒井 『虚人たち』を書いた頃には、僕は人気作家になっていました。だから、人気作家でちょっと変わったものを書いたほうが売れるし、名も上がる。そういう時代でした。結局、難しいものを筒井康隆のブランドで売ったようなところがあってね。これ、非常に資本主義的だなと思ったことがある。