論理的な文章は「頂点」がひとつ
もう一度、前回のイメージ図を思い出してください。
文章で伝えたいのは、結局「最終結論」のみです。ただ、いきなり最終結論だけを伝えても納得してもらえない、背景を理解してもらえないので、小結論、中結論がそれぞれ必要になるわけです。
つまり逆に考えると、読み手に覚えておいてもらいたいのは、「結論(最終結論、中結論、小結論)」だけなのです。要所要所だけ覚えていてくれれば、細かい補足や理由は、あとで忘れてしまっても構わないのです。
以前に「本論を要約で挟むべき」とお伝えしました。そして「後の要約」は「記憶の定着のため」と書きました。伝えたい内容の結論(要所)だけ覚えてもらえばそれで充分で、そのために「挟む」のです。
大事なのは1にも2にも「最終結論」。本来、それ以外はいらないのです。だから、文章を書く時には、とにかく最終結論を正しく伝えることに意識を集中しなければいけません。
そのためには、すべての文が「最終結論」という山頂に向かっていなければいけません。ということは、「最終結論」に関係ない「中結論」、「中結論」と無関係の「小結論」は「あってはならない」のです。それが出てくると、「論理的な文章」ではなくなり、「分かりやすい文章構造」ではなくなってしまいます。
そういう文章を読んだら、「なんでこの話を出したの?」「どういう意味があったの?」と感じることでしょう。書いてある文章の「日本語の意味」が分かったとしても、それが「最終結論」と、どう関係があるのかが分かりません。
それでは「わかりやすい」とはならないのです。最終結論と無関係の「小結論」「中結論」を入れないようにし心がけましょう。
論理的な文章は、「全ての一文が主旨になる」
ぼくは高校3年生まで「現代文」が苦手でした。とにかく書くことが苦手で、入学試験に小論文がある大学を避けていたくらいです。同様に、現代文の読解も「大の苦手」で、常に偏差値は40前後でした。
特に「主旨は何か?」と聞かれる設問が答えられませんでした。なぜこの問題に答えられなかったのか、今では自分でよくわかっています。それは「主旨を探していたから」です。設問で「主旨は何か?」と聞かれるので、一生懸命「主旨」を探していたのです。これが「解答できない理由」でした。
わたしは、「主旨が述べている文が『ひとつだけある』」と思い込んでいました。そしてそのほかの文は主旨とは無関係なのだと考えていました。だから、「主旨は何か?」と聞かれると、その一文を探しまわっていたのです。「ウォーリーを探せ」でウォーリー以外には目もくれないように、「この一文は主旨か否か?」を常に考え、ひとたび「主旨ではない」と判断すると、その内容を捨てていたのです。
大学受験の国語(現代文)で出題される文章は、複数の解釈がされてはいけません。ちゃんと読めば、誰が読んでも「答えが一つ」にならなければいけません。つまり、それだけ「論理的な文章」になっているのです。
そして、「論理的な文章」では、すべての文が主旨へとつながっています。つまり、どの一文を読んでも、主旨へのネタ振りになっていたり、主旨を説明する要素になっていたりするのです。見方を変えると、全ての文から「主旨」が見えるはずなのです。
つまり、「今読んでいるその一文」が「主旨」につながっていたのです。現代文に「主旨を最もよく表している一文を抜き出せ」という設問が多くあるのは、「主旨を表している文が複数ある」ことの裏返しでもあります。
「主旨」が何かを見極めるには、今読んでいる文がどこにつながっているかを考えればいいのです。これは現代文の問題に限らず、論理的な文章の「最終結論(メッセージ)」を把握するためにも役に立つ認識です。
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