正社員も結婚も欲しいのはその「立場」
お金にならない仕事を含めて、僕が五〇もの仕事をしているのは、いったいどうしてか。
端的にいえば、目先の稼ぎよりも他者から感謝され評価されることのほうに、ずっと価値があると考えているからです。
評価を集めて、その評価の使い道を考えること。
これがいま、貨幣経済に取って代わろうとしている「評価経済」です。
本書『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』の第1章で詳しく述べていますが、ネットという黒船によるハイパー情報化社会がやってきて、ごく少数は儲かるけど大多数の人は職を失う時代になりました。リアルマネーによる貨幣経済は徐々に縮小して、評価経済が拡大しています。
幕末と同じように、多くの人が黒船の来航を恐れています。就職できないことや職を失うこと、お金を稼げなくなることに加えて、理由はもう一つあります。
それが「立場を得られなくなる」ということです。
「派遣社員よりも正社員のほうが有利」だとか「派遣社員は生涯年収が低い」だとかは、世間的によく言われる話です。ただ、こうした有利さや年収の違いが、この話題の本質ではありません。
ほんとうは、だれもが「正社員という
「結婚したらリア充」(「リアルが充実している」という意味)だと言われるのも同様で、人は「結婚している」という
結婚することで、「だれかから求められている私」「安定した生活のもとで暮らしている私」という立場を、世間から認められたい。「○○さんの旦那さん」「○○さんの奥さん」と呼ばれることで、「ただの自分」にある程度、社会的信用という名の保険をかけることができます。
江戸から明治に時代が変わったときにも、維新が起きて士農工商という身分制度がなくなりました。ところが、坂本龍馬が身分のない世界のすばらしさと自由さ、ダイナミックな将来性をいくら語っても、当時の人々はまったく歓迎しませんでした。それどころか、大反発です。
「身分のない社会が来たらいいな」なんて思っていた人は、ほとんどいなかったんですね。
たとえ下級でも武士であることは当時の彼らにとっては誇りだったし、商人や農民も「好きに暮らしていいよ」と言われても実際のところは困るだけでした。
身分がなくなる=自由を満喫できる、ではない。
当時の人々にとっては、身分がなくなる=何を信じていいのかわからなくなる、だったのです。