「……ねぇ」
由希が沈黙を破った。
「ん、何?」
僕は由希を見つめたまま答える。
「今日は連れてきてくれてありがとう」
「いえいえ。僕も楽しかったから」
「本当に感謝してるんだ。私はもう時間がないから、最後に来られてよかった」
——そうだ。由希は数日後には引っ越してしまう。あまり考えないようにしていたが、由希と一緒にいられる時間はもうあとわずかなのだ。
「何言ってるの。最後じゃなくてさ、またいつか一緒に来ようよ」
「……来られるといいなぁ」
「来られるよ。次は智史も無理やり連れて、三人でさ!」
僕は意識して強く言い切った。せっかくの小旅行なのだ。今日は彼女に前向きで楽しい気持ちでいてほしい、そう思った。
「……うん。そうだね」
由希は小さな声で返事をすると、月を見つめたまま黙ってしまった。静かに何かを考え込んでいるようだった。そして再び、言葉をかみしめるようにゆっくりと話し始めた。
「……私が、ここに来たいって言ったのはね……前に来たときにお母さんに言われたことを、思い出したからなんだ」
「何て言われたの?」
僕が訊ねると、由希は僕のほうを向くことなく、自らの髪を触りながら答えた。
「『いつかあなたに大切な人ができたら、その人と一緒にもう一度ここにいらっしゃい』って」
大切な人……。今の言葉を、彼女はどういう意図で言ったのだろう? 僕は彼女に対する上手い返事を、すぐに見つけることができなかった。
一瞬の間が過ぎる。
出会ってから数日間、由希とのいろんなやり取りが頭によぎった。そんな彼女はもうすぐ自分の前からいなくなる。いろんな気持ちが頭の中を
気が付けば、今度は僕のほうから、彼女の右手を握っていた。
きっと普段の自分なら、そんなことは恥ずかしくてできやしなかったと思う。でも、このときは自然にそうしていた。
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