頭出しと再生の技術で、カセットテープの「間」は埋めた。
問題はその先である。埋めるべき「間」を埋める「間」が、最大の難敵だった。
たとえば新喜劇の前半部分、第一景の暗転直前によく使われていたのが、コントなどの最後に使われる定番の効果音「チャン・チャン♪」である。
これをどんなタイミングで流せばいいのか、もちろん、一端のお笑いマニアとしてなんとなくは掴んでいるつもりだったが、いざ再生ボタンに指をかけると、その先には無数のタイミングが連なっていて、押すに押せない。かといって、押さないという選択肢はありえない。
「あの、それっていつ押せばいいんですが?」
「そんなもん、台本に書いてある通りや」
音響の手本を見せてくれている栗城さんに尋ねた時の答えはこうだった。
あらためて台本を見返すと、オチ台詞のすぐ後に
M-効果音・暗転
と書いてある。
なるほど、台詞を聞いたら押せばいいのか。
これなら何とかなるだろう……という僕の目論見は、しかしすぐに崩れ去った。
本番で栗城さんが再生ボタンを押したのは、台詞の「直後」とはいえない謎のタイミングだったのだ。
今の微妙な「間」はなんだ?
明日の公演から音響を担当する僕にとって、こんなに気がかりなことはない。
本番中にもかかわらず、僕は栗城さんを小声で問いつめた。
「栗城さん……」
「ん?」
「今ちょっと違いましたよね?」
「何が?」
「台詞のあと、少し『間』がありましたよ」
「そうか?」
「言い終わってすぐじゃなかったですけど」
「……そりゃそやろ」
何事もなかったかのように作業を進める栗城さんを見て、僕は血の気が引きそうになった。
「そやろって、台詞の直後じゃないんですか?」
「そこは臨機応変に、やがな」
いきなりの方向転換に振り落とされまいと、必死で食らいつく。
「あの、今のは台詞の何秒後ぐらいですか?」
「そんなん知らんわ」
「知らんことないでしょう……」
「雰囲気でやれば大丈夫やから、心配すな」
何一つ受け取れないアドバイスを、僕は持て余していた。
「雰囲気ってなんですか?」
「ここ!ってとこや」
「だから、どこですか?」
「そんなもん、わかるやろ」
「……わからないです」
翌日。
涙目で懇願する僕に栗城さんが折れ、この日だけは僕の音響を栗城さんが横で見守ってくれることになった。
それでもさすがに緊張したが、再生ボタンを押すタイミングは全て栗城さんに目で確認が取れたので、特に失敗することもなく公演は滞りなく終了した。
たった2回の実践でも、習うより慣れろという言葉通りである。
前日までの憔悴が嘘のように、僕は音響に手応えを感じていた。
それどころか、自分も新喜劇に参加した一員のように思えて、無性に誇らしかった。
「じゃあ明日から頼むで」
「はい! あの……」
「ん?」
「一景の暗転は、今日と同じでいいですか?」
いくら気分は高揚していても、やっぱり僕の心にはチャン・チャン♪問題が引っかかっていた。
「それは、自分で決めや」
「…………」
昨日と同じ返答に、僕は黙ることしかできなかった。
そんな僕を哀れんだのか、遂に栗城さんが第2ステージへと進む。
「お前も芸人やったら『間』ぐらい読まんと」
「…………」
「ここなら笑いがくるってとこで、自信持って押したらええねん」
「でも、もしタイミングを外したら……」
「みんなプロやから、どうとでもしてくれるわ」
確かに、そうかもしれない。
「もしハズしたら謝っとけ。誰も怒らんから」
「はい……」
これまでとは微妙に違う栗城さんのトーンに、僕は納得せざるをえなかった。
どれだけ不安でも、明日からは僕ひとりで音響をやらなければならないのだ。