「おじさんどいて」事件に涙した日
唐木元(以下、唐木) うちの社員にはあまり話したことないんですけど、タクヤ(大山卓也・ナタリー編集長)と僕が、この仕事に本当にまじめに打ち込むんだって確認しあったというか、気合を入れた瞬間があります。それは、忌野清志郎さんのお葬式の晩のことです。
—— 何か、あったんですか?
唐木 清志郎さんの告別式のとき、タクヤは事務所の方とお付き合いがあったので、記者としてちゃんと入れていただけたんです。けど、事前申請なく駆けつけたカメラマンは、会場を整理していた人にマスコミ以外はカメラゾーンはダメですって言われて、入れてもらえなかったんですよ。つまり、そのときの僕らはまだ、メディアとは見なされていなかったということです。
—— 忌野清志郎さんが亡くなったのは2009年、ナタリーが始まって2年くらいのころですか。
唐木 そうですね。入れてもらえなかったのは単純に僕らが力不足だったからで、しょうがないと思っています。やっぱり世間でマスコミっていえば新聞、テレビ、雑誌のことで、ネットメディアなんてチラシの裏、って時代が長かったですし。ただその晩、ネットサーフィンしていたら、僕が「おじさんどいて」事件と呼んでいる出来事が目に飛び込んできたんですよ。
—— えっ、それはなんですか?
唐木 出棺の前に遺族や親しい方々が棺の周りに集っていて、チャボ(仲井戸麗市)さんも棺に寄り添っていたそうです。それでいよいよ出棺だってとき、チャボさんが、清志郎愛用のギターを、参列者やカメラのいるほうに高く掲げてみせた。そうしたら、どこかのメディアのカメラマンが、「そこのおじさんどいて! 見えないよ!」みたいなことを言ったらしいんです。
—— うわ、それは……。
唐木 具体的になんて言ったかまでは知りませんけどね。でも、うちのカメラマンが行っていたら、絶対そんなことは言わなかったし、なんなら止められたかもしれない。なのに、RCサクセションのギタリストだった、一生の盟友だった仲井戸麗市のことすら知らないカメラマンが、清志郎さんの葬式を撮影して、あまつさえそんな心ない言葉を投げつけるなんて……悔しくてしょうがないですよ。
—— そうですよね……。
唐木 しかも、会場に入っていたタクヤが帰ってきて言うには、まわりの新聞記者とかが「あのヘルメット何?」とか話してたんだそうです。それ聞いてたらもうね、ほんと頭にきちゃって。
—— うわ、つらいですね。
唐木 タイマーズ(※1)も知らないで、清志郎の葬式の取材に来ているって……。いや、もちろん、対象のことを愛している人しか取材をしちゃいけないなんてことはないですよ。奥さんと有名芸能人の資料を渡されて、テレビ向きの使える絵を抜いてくるのが仕事だというのも、わかる。でも最低限のリスペクトや下調べみたいのもないまま葬式に来て、どんな記事を書いて、どんな写真を撮るんだと。僕はね、「そこのおじさんどいて」って言われたチャボさんがどんな気持ちだったか考えたらもう、悔しくて悔しくて、その日、非常階段で泣いたんです。話してたら今も泣けてくる。
※1 忌野清志郎に“よく似た”ボーカル&ギター・ゼリーが率いるバンド。メンバー全員が土木作業用のヘルメットをかぶっている
—— 泣けるって、自分に対してという気持ちもありますよね。
唐木 そう、自分らの不甲斐なさにも。そのときですよね、ナタリーを、取材現場で名刺を出せば迎え入れてもらえるような、ちゃんと世の中でメディアとして認められる存在にするんだ、そのために会社として立ち行かせなきゃいけないんだって心に決めたのは。まあ、タクヤも僕も、野暮なことはいやなので、わざわざ口に出したりはしません。でも、ふたりとも、はっきりと自覚したのはその瞬間だと思います。
—— 僕はいまメディアをやっている身でもあるので、そのくやしい気持ちはすごくわかります。すごい話ですね。これ、書いてもいいんですか?
唐木 いいですよ。最近まで心の中にとどめておいた話なんで、僕も、ずっと誰かに話したかったんだと思います。