—— 本書『弱いつながり』には、スマホを持って旅に出ろとあります。つまり、現実を正確に認識にするためには、村を飛び出して、観光客になる必要があるんでしょうか。
「若者よ旅に出よ!」と大声で呼びかけたいと思います。ただし、自分探しではなく、新たな検索ワードを探すための旅。ネットを離れリアルに戻る旅ではなく、より深くネットに潜るためにリアルを変える旅。
東浩紀(以下、東) 必ずしもそうは思っていません。村人は、村人でいいんだと思います。ただ、ぼく個人の考えとしては、それは貧しいなあと思う。
—— 村人もたまには観光しにいったらいいのにと。
東 そうなんですけど、村人として村の中だけがリアルになっている人っていうのは、もう変わらないかもしれないし。
—— 環境を変える気がない以上、自分が見たい、検索したいと欲望するものは変わらないかもしれないですね。
東 これは少し違う話になってくるんだけど、ぼくはそもそも人生に対する提案ってなかなか難しいと思っているんです。
—— 提案が難しいですか。
東 大多数の人はそれぞれの自分の人生に誇りを持って生きてるんだと思うんですよね。そういう意味では、あまり出すぎた提案はできないと思うんです。だから実をいうと「人生論」はあまり出したくなかった。
あくまで、この本で書いたことは、よりよく生きたい人たちへ向けての哲学であって、これを読んでおもしろいと思ってくれる人がいたらいいな、ということでしかないですね。
—— 体裁としては、自己啓発の類に見えますが、そうじゃなくてひとつの……
東 ささやかなご提案です。
—— たまには、ご旅行も楽しまれてはいかがでしょうかと。
東 はい。そのようなスタンスでございます。
あらゆる偉大な哲学者が、大きな郵便局であるならば
—— 誇り高い村人はさておき、根のない若者なんかは、どの村で骨を埋めようかとさまよっていると思うんですが。
東 そもそもどこかの村に属すとなると、偉くなるってのは村長を目指すしかないわけです。大学に所属したら学部長、学長になるしかないわけ。村に留まるっていうのはそういうことですよね。そういう場合、でかい村に所属したほうが、競争は激しいけれども、村長になった時の利得がでかい。
—— そうですね。
東 でもそれって、やっぱり金が儲かってる業界に入ったほうがいいよね、ぐらいの話でしかないですよね。
—— 会社にしろ、業界にしろ、それを村として読み替えてみると、なんだかせせこましくも思えてきます。
東 まあそういう話ですね。ぼくだって一時期は、大学村とか哲学村とかに属していたかもしれないけれど、結局ぼくはそこで偉くなることは性にあわなかったので、休暇をとりまくって、あちこち観光してたらこうなった。
だから『弱いつながり』を読んで、「こんな本読んでも偉くなれないよ!」って言われたら確かにそうで、それはやっぱり、自分の居場所を大事にして、我が村をきっちり守っていきます、みたいなほうが偉くなるわけです。それはまあ、これからも変わらないでしょう。