「分人」の概念で、生き方が変わる
——前回は、平野さんの作品の第1期から第2期への移り変わりについておうかがいしました。そのなかで、「現実社会に対する関心も強く持っていた」というお話がありましたが、具体的にどういったことに興味をもたれてきたのでしょうか。
平野啓一郎(以下、平野) 9.11のアメリカ同時多発テロ事件は、大きかったですね。『葬送』を書いている最中に起きたのですが、この信じられないような現実に対して小説家はどういう関わりを持ちうるのか、考えざるを得なかった。ロマン主義的な美の世界に浸って、あのまま小説を書き続けることもできたかもしれません。でも、自分はそれだけではどうしても満たされない部分があったんです。
——そうだったんですね。テロについては『決壊』でも扱われています。
平野 そしてもうひとつはインターネットの登場です。グーテンベルクの発明した活版印刷による印刷革命以来の大革命が起きている、ということをひしひしと感じました。この流れのなかで、人間はどう変わっていくのかということにすごく興味がわいたんです。そこでフォーカスしたのが、アイデンティティの問題でした。「自分とはなにか」ということは、誰もが根源的に持っている問題です。でも、この社会変化と経済不況により、若い世代は社会的な承認を通じてアイデンティティを確認することができなくなってしまいました。それは今も続いている状況で、悩んでいる人はたくさんいる。僕自身にとっても切実でした。だから、アイデンティティの問題を重点的に扱おうと思ったんです。
——それを反映したのが、第3期と言われる『決壊』、『ドーン』、『かたちだけの愛』といった作品ですね。
平野 はい。この3作は「分人」というテーマが根底にあります。自殺の問題を扱った『空白を満たしなさい』もその流れです。
——平野さんが最近の作品で扱ってきたこの「分人」という概念について、教えていただけませんか。
平野 「分人」とは、対人関係ごとに見せる複数の顔をすべて「本当の自分」ととらえて、たったひとつの「本当の自分」がいるという固定観念から離れよう、という考え方です。人間は分割できない「個人individual」ではなく、分割可能な「分人dividual」だとする思想です。「個人」という僕達がずっと信じてきた概念自体が、近代の産物なんですよ。中央集権化の時代はよかったけれど、もうそれが限界に来ている。
——「分人」について詳しく解説した、『私とは何か ―「個人」から「分人」へ』という新書も書かれていますね。
平野 僕らは「個人」という概念を何百年も信じていたので、それを解体するのはなかなか難しい。第3期の作品を書いていた時は、「分人」という考えを伝えるために、相当緻密に、構築的にアプローチしないといけないと考えていました。文学的でふわっとした話にすると、人はすぐ自分の慣れ親しんだ「個人」というフォーマットに戻ってしまうんですよね。この第3期の作品で、新たに読者になってくれた人もいたし、分人という概念を知ることでいろいろな問題が解決された、と言ってくださった方もいました。この概念は僕にとって、猿が二足歩行をはじめて人類へ進化したように、後戻りできない思考の変化なんです。基本的には普段の生活でも、分人という単位で人を捉えています。それで、けっこういろいろな問題が整理され、生きるのが楽になりました。
——思想の根底に関わる、大きな発想の転換ですからね。
平野 「分人」という概念を伝えるために、緊密な構成の小説を書いていた一方で、文学的なイマジネーションを自由に開放したいという気持ちもふくらんでいました。もっと読者の想像の余地を残した書き方をしたくなった。読んでいる間、非現実的な体験ができるというのも、物語としてのひとつの大事な役割ですから。元々僕は、『日蝕』みたいな小説でデビューした作家ですし。とはいえ、現実と完全に無関係なところで、僕の妄想的な世界にひたってもらうというのも、今の時代が求めるものとずれている気がしました。今の気分に根ざしつつ、読む前と読んだあとでその人の何かが変わっている。そういうものをつくりたくて、最新作の『透明な迷宮』を書いたんです。
——たしかに『透明な迷宮』は、少しだけ現実とずれた不思議な世界のなかを漂うような、トリップ感のある作品でした。
「読み終わりたくない」と言われる方がうれしい
平野 あと、今作を書くときにもう一つ意識したことがありました。僕はそれを「ページをめくる手が止まらない」問題と呼んでいるのですが(笑)。