
知られざる、常見陽平×中川淳一郎の共作『OJTでいこう!』
常見陽平(以下、常見) 僕もいまではフリーランスだけど、やっぱりその前に中川くんが会社を辞めて、先にフリーランスになっていたっていうのは大きかったよね。君が会社を辞めたとき、僕は普通にリクルートでサラリーマンやっていたでしょ。中川くんは博報堂に入ったのに会社を辞めて、しかもその後すぐに「TVブロス」の編集者になって連載を持ったり、単著を出したりとかしていたし。
中川くんは僕にとってロールモデルというか、「自転車の補助輪」のような存在だったんだよね。そのおかげで自分は著者になれたんだって今でも思ってる。だから、いつまでたっても「中川にはかなわない」って思っているところがあるんだよね。
中川淳一郎(以下、中川) いやいや、オレはいまでもずっと自分より陽平のほうがおもしろいって思っているよ。大学時代もそうだったけど、社会人になってから徹底的に「この人には負けた!」って思ったのが『OJTでいこう!』(翔泳社)(※)のときだったな。
※フリーランスになった中川氏が2004年に執筆した本。トヨタとリクルートグループの合弁企業であるオージェーティー・ソリューションズの生産現場や人材教育などを紹介した。
常見 あー、中川君の童貞作ね。あの本が出来てから今年で10周年だね。
中川 意外とまだしつこく増刷かかってるんだよね。ほら、あの話を最初に持ってきてくれたのって、常見だっただろ?
常見 あの当時、僕はまだリクルートの社員で、当時トヨタ本がすごくヒットしてたんだよね。僕は名古屋に転勤し、その会社に出向していたんだけれども、僕は広報担当で、「自分たちのメッセージを伝えるためには、本を作らないとダメなんじゃないか」って思うようになったんだよね。そこで、本を出しましょうと出版社にかけあって、企画書におこして持ってたら通ったんだよね。最初の80ページは企画書と一緒に持っていったんだけど、でも残りを自分で原稿を書くわけにもいかないし。そこで、「ライターどうしよう?」と思ったら、「あ、中川がいるじゃん!」って気付いた。あのとき、僕が29歳で、君が30歳だったよな。
中川 そうそう。
常見 そして、中川の書いた記事の中で、できるだけ真面目な文章をまとめて、上司にプレゼンした気がする。
中川 オレ、マジメな文章なんてあったっけ? 「ブロス」とかだとふざけてばっかりだしなぁ。
常見 「ブロス」の原稿はさすがにまずいから、「日経ビジネスアソシエ」とか「日経ビジネス」とかのかろうじて硬派な記事を集めて、「こいつは真面目な文章が書けるやつです」ってプレゼンした。まぁ、ウソなんだけど(笑)。
そしたら、上司もOKをくれて、出版社側からも「中川常見コンビに賭けてみよう」ってことになったんだよね。そしたら、原稿が結構遅れてねぇ……。
中川 す、すみません! いや、その本の担当編集者がNさんっていう、「口だけで笑う」すごい怖い人だったんだよ。
常見 そうそう。まったく笑わなくて、クールでロシア人みたいに色白な人だったんだよね。
中川 もう背も高くて、めちゃくちゃ怖いのよ。で、その人が「中川さん、あなたの書いた『はじめに』がどうしてもダメなんですよ」と言われて、結構何度も書き直したんだけど、どうしても気に入ってもらえなくて。で、Nさんがしびれを切らして、陽平にこっそり裏で「中川さんは書けないみたいだから、ちょっと常見さん書いてくれますか」って頼んでたんだよな。そしたら、陽平が書いた「はじめに」をNさんが「そうそう、こういうのが読みたかったんです!」って大絶賛して。そのとき、「あぁ、こいつにはかなわない」って思ったよ。
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