かつてロックが、混沌とした社会や人間の迷走する内面を突き動かす力を最も放っていた1960年代後半。
その頃の若者の象徴でもあったヒッピーや反戦運動家たちが主導した対抗文化のスローガンの一つに、“Don’t trust anyone over 30”というものがあった。
システムや体制の中で利益追求や保守的な価値観に溺れている「30歳以上の奴を信じるな」というこの姿勢には、自由な生き方と束縛された生き方、あるいは新しい若者たちと古い大人たちといった明確な線引きもあったはずだ。
だが、人は生きて年を重ねていく。
いずれは生きている誰もが30歳になる。
自分が信じたくなかった人生を、これから生きていかなければならない。
結局は時代の空気がそうさせたとか、ティーンや20代の刹那的心情と言ってしまえばそれまでだが、中にはそれを本当に永遠に変えてしまう者もいる。
その唯一の手段、それはつまり死だ。
1960年代後半~1970年代前半にかけて、奇しくも同じ27歳で命尽きたロックスターたち。
ローリング・ストーンズの生みの親、ブライアン・ジョーンズは自宅プールで溺死体となって発見。
凄まじいエレクトリック・ギター奏法でロックに革命をもたらしたジミ・ヘンドリックス、強烈なブルース・フィーリングで女の孤独を歌ったジャニス・ジョプリンは、薬物過剰摂取が原因でホテルの一室で死亡。
ドアーズの破滅的な詩人だったジム・モリソンも、異国の地パリのアパートで不可解な死を遂げた。
そして、そんな彼らが耳にしていたデルタ・ブルースの帝王、ロバート・ジョンソンも27歳でこの世を去っていた。
27歳の死。
若くして何かをやり遂げてしまったほんの一握りのミュージシャンたちにとって、それは脅迫観念となって呪いのようにまとわりつくことになった。
キース・リチャーズもエリック・クラプトンも、この悲しき伝説のリスト入り寸前だった。
犠牲者はオルタナティブ・ロック全盛時代に突入した1990年代以降も続く。
グランジのスター、カート・コバーンはシアトルの自宅で銃自殺。
日本ではストリート・ロックのカリスマだった尾崎豊が27歳にも満たない26歳で逝った。
記憶に新しいのはエイミー・ワインハウス。彼女の死も27歳だった。
我々は、この27歳にこだわってみた。
しかし、何もそこは悲しい死の物語ばかりではない。
成熟というには早すぎるし、かと言って未熟とは程遠い。
ある者は薬物や病と壮絶な闘いの渦中にいたり、最愛の人を亡くして暗闇を彷徨う者もいる。
トラブルに巻き込まれる者もいるし、何かの転機や始まりを遂げる者もいる。
デビューする者もいれば、キャリアの全盛期を迎え名作を残す者だっている。
それぞれの物語が集まるにつれ、27歳とは“青春の終わり”と“人生の始まり”のクロスロードなのかもしれないと思った。
我々と何ら変わりはない人間としての喜びや苦悩が、ここには詰まっている。
書き手:中野充浩 イラスト:いともこ
1人目に取り上げるのはエイミー・ワインハウス。
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