有楽町駅前の三省堂書店には、占いコーナーがある。しかし店内案内図には何も記されていない。
2階の一番奥、医学書コーナーにある作りつけの棚の一辺をグイと押すと、忍者屋敷のように回転して、薄暗い占いコーナーへと飲み込まれる。
今日も悩める誰かが、にぎわう店内で、グルンっと飲み込まれた。
*
とても普通ではない状況だが、目の前で微笑む女性は慣れた雰囲気で手招きをしている。
「いらっしゃい。どうぞお掛けになって」
口調はそれっぽいが、格好はいたって普通の書店員だ。胸には「新井」と名札が付いている。布張りのテーブルには、4冊の本が並んでいた。
「どれか一冊、直感で」
タロットのように選び取れということか。しかしどれかといっても、どれも『いつかティファニーで朝食を』というマンガだ。1巻から4巻までの4冊。
「ふふふ、まだこれ読んだことないでしょう? 顔に書いてあるわ」
その通りだが、そんなドヤ顔されても。アラサーにもなってこんな少女マンガ、読むわけがない。今日は、上司に薦められたビジネス書を買いに来た。
「顔色が悪いわね。ちゃんと朝ごはん食べてる?」
今朝は布団から出ずに、コンビニのおにぎりをペットボトルのお茶で流し込んだだけだ。同棲している彼氏は、ソファで胃をさすりながら煙草を吸っていた。
「ふ~ん、あなたは、このマンガでいうところの、まりちゃんね」
『ティファニーで朝食を』1巻より
それぞれの章で別の女性が主役になるが、まりちゃんは1巻目の第1話で、恋人に別れを切り出すのだと言う。
「ふたりそろった朝に、きちんとした朝食をとらない関係は、長く続かないわ」
むくんだ顔で、朝の挨拶もせず、別々のものを食べて、見送りもない。いってらっしゃいのキスをしたのなんて果たして何年前だろうか。
「まりちゃんはね、ずっと行ってみたかった近所のカフェでお友達とおいしい朝食を食べて、そこで彼とは別れようって決意するの」
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