新しい「幕開け」がそこにあった
二〇〇七年は、時代の転機となる年だった。
少なくとも、日本の音楽カルチャーについては、間違いなくそうだった。そしてそれは、単なるブームや流行ではなく、ポップカルチャー全般や、暮らしや、社会のあり方や、人々の価値観の変化と結びつくものだった。
この本では、そういうことについて、書こうと思う。時代の転換点にあった熱気について、そして、それがどういうところから生まれて、どういうところに向かっていくのかを、書き記しておこうと思う。
初音ミク。
この本で時代の象徴として取り上げているキャラクターが登場したのが、二〇〇七年の夏のこと。そのパッケージに描かれていた緑色の髪のツインテールの少女は、インターネットを舞台に生まれた新しいカルチャーのアイコンになった。
発売から瞬く間にブームは広まった。
歌声合成ソフトウェア、つまりはコンピュータに歌わせることのできる「VOCALOID」技術を用いたソフトとして発売された初音ミク。最初は誰もが単なるオモチャのように思っていた。ネギを振らせてみたり、カバー曲を歌わせてみたり。一発ネタのようなキャラクターソングも多かった。しかし、数ヶ月もしないうちに、完成度の高い楽曲が次々とネット上に登場する。様々なバリエーションやジャンルの楽曲が投稿され、曲の作り手は、いつしか「ボカロP」と呼ばれるようになっていく。
音楽だけじゃない。ニコニコ動画を舞台に、イラストや動画など様々なフィールドの表現が生まれていった。ソフトウェアが発売された時に、最初に提示されたのは、三枚のイラストと、「年齢16歳、身長158cm、体重42kg、得意なジャンルはアイドルポップスとダンス系ポップス」というシンプルな設定のみ。だからこそ、ユーザーの想像力が自由にキャラクターを育てていった。
クリエイターによる創作は相乗効果を呼びながら大きくなっていった。誰かが初音ミクで作った楽曲を公開すると、それにインスパイアされた別のユーザーが曲をアレンジしたり、イラストを描いたりする。歌ってみたり、踊ってみたり、動画をつけてみたり、歌詞を深読みした物語を書いてみたり。互いに引用しながら派生していく創作の連鎖が起こっていた。
二一世紀のインターネットに、誰もがクリエイターとして名乗りを上げることができる場が登場した。プロフェッショナルな作り手ではなく、アマチュアのクリエイターによって作成された様々なコンテンツが、当たり前のように消費されるようになった。ネットを介して作り手同士の繋がりも生まれた。新しい文化が花開き、フィールドを超えたコラボレーションも次々と生み出された。
言ってしまえば、それは「一億総クリエイター」時代への大きな入り口だった。そんな現象を説明すべく、「CGM(消費者生成メディア)」や「UGC(ユーザー生成コンテンツ)」という言葉も生まれた。
アニメやオタクカルチャーとの関わりや「萌え」というキーワードで語られることも多かったボーカロイドのシーンだが、初音ミクは、あくまでDTM(デスクトップミュージック)、つまりコンピュータを使って音楽を制作するためのソフトウェアである。その核にあったのはメロディと歌声だった。
〇〇年代には、ワクワクするような、新しい幕開けの時代があった。新しい文化が生まれる場所の真ん中に、インターネットと音楽があった。今となっては、沢山の人がそのことを知っている。多くの人たちがそのことについて語っている。
この本は、それをもう一度、ロックやテクノやヒップホップ、つまりは二〇世紀のポピュラー音楽の歴史にちゃんと繋げることを意図したものである。初音ミクは、六〇年代から脈々と続いてきたポップミュージックとコンピュータの進化の末に、必然的に生まれたものだった。そういうことを語っていこうと思う。
「誰が音楽を殺したのか?」の犯人探しが行われていた二〇〇七年
しかし、実は〇〇年代後半の日本の音楽シーンには、そんなワクワクするようなムードは存在しなかった。そこに漂っていた雰囲気は、新しい幕開けとは、ほど遠いものだった。僕自身は九〇年代末からロックやポップミュージックを中心に扱うメジャーな音楽雑誌やウェブメディアで仕事を続けてきた人間だ。なので、その時の音楽業界のムードはよく覚えている。
音楽が売れない。
〇〇年代の一〇年間は、そんな悲観論ばかりが繰り返された時代だった。