大学に戻り、日常生活に戻ったところで、僕とサロンの関係に微妙なズレが生じていることに気がついた。別に仲が悪くなったわけではないが、なんとなくしっくりこない。
会話が減っているのは、口ほどにもなかった自分たちへの照れ隠しであることはわかっている。
しかしその本質は、一体どっちなのだろう?
オーディションでダメだったから、お笑いへの情熱が薄まってしまったのか。
それとも——
もう「落研」というアマチュアの世界には帰りたくなかったのか。
この時の心境を正直に記せば、僕は前者で、サロンは後者だったと思う。
「ほろ苦い結果に終わったが、しかしこの挑戦は大学生活いちばんの思い出となった」
一連のオーディション騒動。
最後の文面は、こう結ばれる予定だった。
あとは後の人生で、たまに語り合うぐらいだろう。
普通はこれで終わりであるし、終わるべき出来事だった。
しかし、終わらなかった。
それは偶然を装った必然だったのか。
終わらせたくない気持ちが何かを引き寄せたのか。
とにかく、僕たちと福岡吉本の縁は切れなかったのだ。
つなぎ止めてくれたのは、田中くんである。
実はオーディションの少し前から僕は大学の近くに部屋を借り、念願のひとり暮らしを始めていた。
そしてそのアパートの100メートルほど先に、偶然、田中くんの実家があったのだ。
オーディションに優勝した片割れとして福岡吉本に入ったはいいが、夫婦揃って教諭という両親は猛反対。
実家から勘当され、行き場を失った田中くんが僕の部屋にちょくちょく泊まりに来るようになっていたのである。
そんな田中くんを僕とサロンは歓迎し、いつしか3人で遊ぶようになっていた。
そこで聞かされる、福岡吉本トピックス。
入った途端、吉田さんがめちゃくちゃ厳しくなったということ。
3人の中では自分が一番下っ端の扱いを受けてしまうということ。
ローカル番組のレギュラーに羽田さんが決まるかもしれないということ。
他のオーディション出場者は直談判しに来ているということ。
そして夏には、正式に福岡吉本の旗揚げイベントをやるということ。
そのどれもが他人事で、とても他人事では片付けられないトピックスだった。
先月までは同じ立場だったはずの竹山くん、田中くん、そして羽田さん。
彼らはもう、歩み出していた。
僕たちもこの列車に乗れるかもしれなかった。
発車のベルが鳴り響く中、ホームの先に輝く車体は鮮明に見えていたのだ。
そこに向かって一生懸命走ったけれど、走ったつもりだったけれど、僕たちは間に合わなかった。
すんでのところでドアが閉まり、動き出した列車の後ろ姿を、僕たちは黙って見送ることしかできなかった。
駆け込み乗車に失敗したのだから、気まずくて当然だろう。
だから僕たちは、照れ隠しでうつむくしかなかったのだ。
田中くんから話を聞いた後、サロンは必ず羨ましがっていた。
思いきって事務所に顔を出してみようかという話にもなったが、あの時に声をかけられなかったという結果はサロンの心に重くのしかかっていたようで、口には出しているものの、踏ん切りがつかない。
ならば別の方法はないものかと、福岡吉本への道を模索するサロンを、しかし僕はどこか冷めた目で眺めていた。
申し訳ないけれど、以前のような情熱が、僕にはもうない。
それを見透かされていたのだろうか、いつの日からか、サロンは田中くんがいなければ僕の部屋に来なくなった。
そんなサロンとこれからどう接していいのやら。それを考えると僕は少しだけ憂鬱だった。
そうなってしまった原因は、自分でもわかっていた。
僕がひとり暮らしなんてものを始めてしまったからだ。
楽しさしかないと思っていたのに、いざ蓋を開けてみると、そこには不安と罪悪感しかなかった。
おかげで僕は軽く精神を病んでいたのだ。
僕がひとり暮らしを始めた理由。それは彼女のため——正確には元・彼女のためだった。