カントの考える「悪」の問題
僕は、自由には外見的なものと内面的なもの、さらに、前向きと後ろ向きがあると言いました。
では、自分で選んだ自殺はどれに分類されるのでしょうか。
キリーロフやKは、個人の倫理に基づいて前向きに戦って死んだのかもしれません。
しかし、死の間際の状況を知ると、両者ともにやはり最後は揺れていたんじゃないかと思えるのです。
残された言葉などを見ても、やはり本人もそれが前向きだと全面的に肯定していません。
鬱状態での心理を本当の気持ちだと言えるのか、それはなかなか難しい問題です。
哲学者カントが「宗教論」(『たんなる理性の限界内における宗教』)で考えた「悪」についての話もこれと少し似ています。
カントは、このようなことを書いています。
〝人間が悪と呼ばれるのは、その人間が悪しき(法則に反した)行為をなすからではなくて、それらの行為がその人間のうちの悪しき格率を推定させるような性質をそなえているからである。 ”
平易に言い換えるとこうです。
「人間が悪と呼ばれるのは、その人間がした行為が悪いかどうかではなく、それがどのような主観によってなされたかによって決まる」
つまり、善悪は心の問題だというわけです。
しかしそれではすべてを割り切ることはできません。
なぜなら自分の心にはコントロールできない部分もあるからです。
科学的には「自由な意志」は存在しない?
心の自由 ——自由意志というものは存在するか、という問題は非常に興味深く、科学の分野でも面白い研究があります。
自由意志の研究で最も有名でよく引用されるのが、ベンジャミン・リベットの実験です。
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