今年の正月、私は朝からとても忙しい。生まれて初めて「駅伝を観る」正月休みを過ごしているのだ。今現在はニューイヤー駅伝を横目にこの原稿を書いていて、明日はいよいよ箱根駅伝である。きっかけは昨年、福田里香さんや三浦しをんさんたちに誘われた食事会。私以外の出席者はみな筋金入りの駅伝愛好家で、贔屓校の魅力や今回の見どころについて熱っぽく語る彼女たちにすっかり気圧され、あまりにも楽しそうなその様子に、「2014年こそは私も自宅で箱根駅伝を観ながら正月を過ごすぞ!!」と固く心に誓った。
ちなみに一番グッときた誘い文句は、「カワイイ年下男子に興味がないなら、選手じゃなくて伴走する監督を観るといいですよ。各校いい中年が揃ってますよ。監督と選手の関係性は、姫と騎士団みたいなものです!」……なるほど、俄然、観る気まんまんである。飲み食いしながら数時間わいわいおしゃべりした、女子の女子による女子のためのこの夜の萌え語りは、そのまま『駅伝女子放談』というZINEにまとめられている(シブヤパブリッシング刊)。
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今までは正直、「観てみたい」という関心よりも「観るに耐えない」という気持ちのほうが上回っていた。なにしろ駅伝には、つらく苦しいイメージがつきまとう。寒空の下、体脂肪や邪念のいっさいを削ぎ落とし、ガリガリに痩せた若い男たちが、ほとんど半裸といってよい無防備な格好で、険しい山道を登り、海風に煽られ、延々と走り続ける。実況解説でも笑い話より苦労話が、個々人の栄光より涙の連帯責任が強調され、走るのが苦手な私など、男子たちに胸がキュンキュンするより先に、自分の脇腹がキリキリしてくる。
もちろん、三浦しをんさんの小説『風が強く吹いている』は夢中で読んだし、個人競技でありながら団体競技でもある特殊なスポーツに打ち込む作中の男子たち、その青春群像劇には、大いに萌えたものだ。しかし現実世界の駅伝は、いつでもどこでも好きに読めるフィクションとは勝手が違う。一年に一度きり、あろうことか正月三が日に、他の娯楽を全部投げうってリアルタイム観戦し、あの異様な熱狂に同化することでしか、ハマるチャンスが得られない。囲碁将棋や高校野球などと比べても異様に入口が狭く、かつ敷居が高い趣味なのである。
朝寝、朝風呂、朝酒、毒にも薬にもならない前録りのバラエティ、もう何十回も観た映画の再放送。大型連休くらいダラダラ過ごして、うんざりするほど退屈を満喫したい。荒波と逆風に揉まれる日常や、出口のある競争のことはしばし忘れて、ただただ馬鹿になりたい。コタツの外の世界に面白いことなんか一つもない、みかんとおもちがあればそれでいい、だのにどうして、わざわざ新春から、こんなに過酷なスポーツを観戦しなくちゃならないんだ?……というのが、私が駅伝を敬遠していた理由だった。