昭和の終わり頃、東京のとある私鉄沿線の駅前に、不思議な佇まいの書店があった。客はまばらで、商品はどれも埃っぽく、やけに明るく照らされた店内はそのぶん奥の棚に深く濃く影が落ちて、新刊書店なのに古書店のような匂いがした。むきだしで陳列された漫画本を最初から最後まで読み、何も買わずに店を出ても、それを週三回ペースで繰り返しても、なぜかまったく怒られなかった。
大人になった今でもその書店をよく思い出すのは、「私が腐女子になった場所」だからだ。当時この便利な言葉はこの世になかったので、正しくは「私が少年漫画の二次創作パロディと『やおい』に覚醒した場所」、となる。小学生の私は、大好きな漫画『聖闘士星矢』の公式な副読本か何かと勘違いして、この書店で『メイドイン星矢』という同人アンソロジー本を手に取った。
ここでいうアンソロジーとは、ファンによる二次創作同人誌を再録した商業刊行物のことである。コミックマーケットなどの即売会で個人間の楽しみとして頒布されるやおい本の一部が、内容そのままに編纂され、出版社を経由して一般書店の店頭に並ぶ。当然、著作権的にいろいろグレーな商売であるが、ここではその是非は問わない。 まだ「腐女子」や「ボーイズラブ」という言葉はなく、「やおい」「オリジナルJUNE」という言葉も人口に膾炙していない時代だった。この寂れた書店の主も、おそらくは内容を理解せぬまま、原作コミックスのすぐ横にそれを陳列していた。そうして私のような純真無垢な子供が、うっかり手に取ってしまう。
原作者の車田正美本人が描いたものではないぞ、ということはすぐに理解した。しかし藤子不二雄本人が描いていない『ドラえもん』の絵本や図鑑などいくらでもあるし、本屋さんに置いてあるのだからオフィシャルな刊行物に違いない、と思った。こうした偶発的な事故で「やおい」を知るという体験は、我々の世代にとってはよくある話だ。セーフサーチをオフにしてググれば何でも出てくる現代と違い、他に玄関口が設けられていなかった時代である。私たちはみんな、こうして狭き門をくぐってきた。
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やおい同人誌、と聞くと、それを実際に手に取ってみたことのない人ほど、男性キャラクター同士のアナルセックスが18禁のエログロ描写で綴られた、ものすごく過激な有害図書を想像するかもしれない。読みもせで。けれど、私が生まれて初めて読んだ『星矢』のやおい漫画は、まったくそんなものではなかった。私はほどなく、この書店で『メイドイン星矢』に限らずさまざまな同人アンソロ本を夢中で読み耽るようになる。エロかったからではない。そこに「平穏な、普通の日常」が描かれていたからだ。