自分の立ち位置を明確にしたかった
—— エージェントって、直訳すると「交渉人」とか「代理人」という意味ですよね。でも、こうやって話を聞いているかぎり、佐渡島さんたちは単なる代理人をめざしているわけではない。
佐渡島庸平(以下、佐渡島) そうですね。
—— その一方、「エージェントって中抜き業者じゃないの?」みたいな疑問を抱いている人がいるのも事実です。
佐渡島 はい。素直な反応だと思います。
—— そこで質問なのですが、どうしてわざわざ「エージェント」という誤解を招きかねない言葉を使うのでしょう? たとえば「フリー編集者」ではいけなかったんでしょうか?
佐渡島 自分の立ち位置を明確にしたかったんです。
編集者って、たとえフリーであったとしても雑誌側・出版社側の人間になってしまうんですよ。出版社に「この企画どうでしょう?」とお伺いを立てるような。
でも、エージェントは完全に作家側の人間なんです。もしもある出版社が「NO」と言うのなら、別の出版社に持っていけばいいだけの話で、決定権はこちら側にある。
—— うーん。
佐渡島 講談社時代の僕は、「出版社の人間でありながら、作家の味方でもある」という、とても微妙な立場にいました。だから当然、板挟みになることもあったし、作家たちを最後の最後まで守りきれたかというと、それができなかった場面もあったかもしれない。
でも、エージェントになってしまえば、どっち側に立つ人間なのかスッキリしますよね。
—— ちょっと待ってください。フリー編集者が出版社側で、エージェントは作家側の人間だというのは、どういう線引きなんでしょう? だって、フリー編集者も作家と作品のことを第一に考えているはずですよね?
佐渡島 そこは「誰に向けてサービスを提供するのか?」という話になりますね。
—— 誰に向けて?
佐渡島 ビジネスというのは、誰かになにかしらのサービスを提供することによって、その対価としてのお金が発生するものですよね。
僕らのコルクという会社も、さまざまなサービスを提供していきます。ただし、そこで提供するのは出版社に対する「編集業務の代行サービス」ではありません。僕らがサービスを提供する相手は、あくまでも作家なんです。ここがフリー編集者や編集プロダクションとの最大の違いではないでしょうか。
—— ははー、なるほど。提供するものが「編集業務の代行サービス」だったら、出版社側を向かざるをえない。でも、佐渡島さんたちは作家に向けて別のサービスを提供する。だからこそ、作家側の人間でいられる。
佐渡島 たとえば、ホテルをただの宿泊所だと思っている人にとっては、簡素なビジネスホテルで十分ですよね。でも、宿泊以上の体験やサービスを求める人は、リッツ・カールトンのようなホテルを予約する。これはリッツ・カールトンがその宿泊費に見合っただけのサービスを提供しているからこそ、成立する話です。
僕らエージェントは、作家たちの原稿料や印税から一定のエージェントフィーをいただきます。作家たちからすると、自らの取り分を削るかたちで僕らと契約していただくことになる。でも、僕たちはそこで削っていただいた以上の利益やサービスを還元していこうとしているわけです。
国境を超え、時代を超える作品を
—— おもしろい、そこは大きな違いです。じゃあ具体的に、作家たちにどんなサービスを提供していくんでしょうか? これまでどおりの編集業務ではないわけですよね?
佐渡島 ひと言でいえば「作家と作品の価値を最大化すること」です。そのための大きな軸として考えているのが、世界で売っていくこと。そして長く読み継がれるシステムを構築していくこと。
空間の横軸を世界に広げて、時間の縦軸を未来にまで押し広げる。そうすることによって、作家と作品の価値を最大化していきたいんです。
—— 佐渡島さんはいつも、日本のマンガや小説はもっと海外で受け入れられるはずだ、という話をしていますね。
佐渡島 はい。
—— それは大学時代に英米文学を専攻されていた佐渡島さんだからこそ、日本のマンガや小説に、なにか特別な優位性や可能性を感じているということでしょうか?
佐渡島 いや、優位性が云々ということではなく、もっとシンプルな話ですよ。
僕は中学時代に父の仕事の都合で南アフリカに住んでいたんですけど、そこで気づいたのは「人間ってみんな同じだな」ということなんです。肌の色が違っても、生まれ育った環境が違っても、あるいは貧富の差があったとしても、やっぱり人間ってうれしいときには笑って、かなしいときに涙を流す。美しいものを見たら感動するし、サッカーのゴールが決まったら興奮する。そこに違いなんかないんですよ。
—— ああー。
佐渡島 もちろん文化の差異はありますよ。だけど、時代を超えて残っていく作品については、文化の壁も乗り越えるはずなんです。
—— そこのところ、もう少し詳しく教えてください。
佐渡島 たとえば10年前に発表されて、いまなお読み継がれている作品があったとします。でも10年前の日本って、ある意味外国みたいなものだと思うんですよ。文化や価値観はそれくらい日々刻々と変化している。
実際、10年前には Twitter も Facebook もなかったわけですし、震災もなかった。
—— たしかにそうですね。
佐渡島 逆にいうと、今後10年間読み継がれるだけの普遍性を持った作品だったら、いまアメリカや中国で読まれてもおかしくない。
時代を超えて読み継がれるためには、表面的な事象を追いかけるんじゃなくって、人間の本質を描かなきゃいけないわけです。そしてしっかりと本質が描かれた作品だったら、世界のどこに持っていっても通用する。
これは実際に南アフリカに住んで、僕が肌で実感したことです。
—— なるほど。じゃあ文化の壁を乗り越えるよりも、時代に流されないことのほうがむずかしいわけですね。その意味でも、もうひとつの軸である「作品を残す」が大切になってくる。
佐渡島 その通りです。
—— でも疑問なのは、こと「作品を残す」に関していえば、エージェントの立場よりも出版社にいたほうが確実にやれるんじゃないか、と思うのですが?
佐渡島 出版社には「版」を残す機能はあるけど、それを永続的に活かしきるのはむずかしいところがあります。やっぱり現在進行形で連載している作品が優先されますから。
たとえば『ドラゴン桜』というマンガ。これは5年前の2007年に連載が終了しているんですけど、僕は受験生やその親たちに、これから先も長く読み継がれる価値を持った作品だと思っています。
でも、いまの出版業界のシステムでは、僕が『モーニング』を離れて他の部署に異動すると、作品の最終責任者がいなくなってしまう。せっかくの読み継がれるべき作品が埋もれてしまうんです。
—— エージェントだったら、作品にずっと関与して、作品への責任を全うできるわけですね。たとえば『ドラゴン桜』のような過去作の場合、どんな「残し方」が考えられるのでしょう?
佐渡島 連載終了から5年10年と経った作品について、いまから新規読者を獲得していくには、新たなキャンペーンが必要になります。もしかしたら一定期間ネット上で無料購読できる仕組みをつくるのもいいのかもしれないし、あるいは『ドラゴン桜』の場合は、教育産業とのコラボレーションもおもしろいのかもしれません。
僕らのいう「残す」とは、物理的に保管するとか絶版を復刊するとかではなくて、いつの時代も作品が動き続け、生き続けている状態をつくることなんです。
作家が編集者を選ぶ時代へ
—— もうひとつ気になっていたのですが、今回コルクに賛同してくれた安野モヨコさんや小山宙哉さんについては、今後ずっと佐渡島さんが編集を担当されるわけですか?
佐渡島 もしずっと続けられるのなら、それに越したことはないと思います。ただ、僕がこれからやろうとしているのは「作家が作品を生み出すための、ベストな環境をつくり出すこと」。だから仮に将来、小山さんが僕と長く組んでいることでマンネリを感じたり、他の編集者に新しい刺激を求めたりするのであれば、僕は喜んで小山さんにいちばん合った編集者を探してきます。
—— 独占的な編集者、というわけではないんですね。
佐渡島 たとえば『GIANT KILLING』のツジトモさんも、以前は僕が担当だったんですよ。ツジトモさんの新人当時から、ずっと一緒にタッグを組んで。ただ、お互い若かったこともあってか、僕とのコンビではなかなか結果に結びつけることができませんでした。そんなとき、尊敬する先輩編集者が新連載用の原作を持っていて、作画担当の作家を探していたんです。
—— えっ!? もしかしてそれが『GIANT KILLING』ですか?
佐渡島 そうなんです。もちろん、そこでツジトモさんを推薦してしまえば、僕はツジトモさんの担当から離れることになります。でも当時のツジトモさんにとっては、1日でも早く新連載のチャンスをつかむことが先決でしたし、原作もおもしろかった。そして担当が尊敬する先輩だったこともあり、僕はツジトモさんを推薦して、担当を降りることにしたんです。
—— へえー、あのマンガはそうやって生まれたのか。
佐渡島 これまで、作家が自分に合った編集者を探すのって、かなりむずかしかったと思うんですよ。でも僕は自分の担当する作家について、誰よりも真剣に考えているつもりだし、誰よりも深く理解しているつもりです。
だからもし、安野さんや小山さんが将来「こういう作品がつくりたい」と思って、僕がその適任者じゃなかったとしたら、それに合ったベストの編集者を探してきます。ツジトモさんの場合は、たまたま尊敬する先輩が近くにいたからスムーズでしたけど。
—— それはひとりの編集者として考えると、なかなか重い決断ですね。
佐渡島 ただ、今後の姿としては「担当をゆずる」というより、その編集者を「僕らの船に引き入れる」というイメージのほうが近いかもしれませんね。僕が船から降りることはない、というか。だからこれからは、作家を見つけてくるのと同じくらい真剣に、編集者を探し続けますよ。
—— たしかに、編集者は「この作家でこんな作品を」と選ぶことができるけど、作家たちは「この編集者でこんな作品を」と選びにくいのが実情ですよね。特に若い作家の場合、担当編集者がくじ引きのように決まっちゃうというか。
佐渡島 雑誌の力が強かった時代には、それでもよかったんだと思います。出版社からすると「雑誌に載せること」が最大のサービスで、作家もそこを望んでいたわけですから。
でも、雑誌の力が弱まりつつあるいま、出版社も作家に対してなにか別のサービスを提供するべき段階に突入してきました。
—— そのサービスこそが、優秀な編集者であり、エージェントだと。
佐渡島 そうです。作家にも編集者を選ぶ権利が与えられるべきだし、その選択肢のひとつとして、媒体に縛られず、常に作家と同じ船に乗り続けるエージェントが必要なんです。

佐渡島庸平(さどしま・ようへい)
1979年生まれ。南アフリカで中学時代を過ごし、灘高校、東京大学を卒業。2002年に講談社に入社し、週刊モーニング編集部に所属。『バガボンド』(井上雄彦)、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)など、数々のヒット作の編集を担当する。2012年に講談社を退社し、作家のエージェント会社、コルクを設立。
コルク:http://corkagency.com/
twitterアカウント:@sadycork

フリーランスライター。1973年生まれ。一般誌やビジネス誌で活動後、現在は書籍のライティング(聞き書きスタイルの執筆)を専門とし、実用書、ビジネス書、タレント本などで数多くのベストセラーを手掛ける。臨場感とリズム感あふれるインタビュー原稿にも定評があり、インタビュー集『16歳の教科書』シリーズ(講談社)は累計70万部を突破。2012年、初の単著となる『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社新書)を刊行した。cakesでは『文章ってそういうことだったのか講義』を連載中。
ブログ:FUMI:2
Twitterアカウント:@fumiken
キベ ジュンイチロウ
1982年生まれ。福岡県出身。大学新聞部での取材をきっかけに写真を始める。在学中から、フリーランスとして仕事をはじめ、大学卒業後はベンチャー企業に5年間勤務。2011年、独立してフリーランスに。得意な被写体は「人」。
オフィシャルサイト:http://www.kibenjer.net/