嶋浩一郎は中川淳一郎にホントに「バカやろー」と言ったのか?
中川淳一郎(以下、中川) 嶋さん! 今日はお忙しいところ、どうもありがとうございますっ!
嶋浩一郎(以下、嶋) お、中川久しぶり。でもな、今日は中川にクレームがあるんだ。
中川 え、なんですか?
嶋 cakesの中川の連載を楽しく読んでたら、なんだか俺の登場するところが変だぞ!いつも中川に「バカやろー」って吠えてるけど、俺は中川に「バカやろー」なんて言ったことないんじゃないのか!!!
「嶋さん、インタビューってどうやってやればいいんですか?」
「バカヤロー! 人に会って話を聞くんだ!」
「小渕優子に会いに行けばいいんですね」
「バカヤロー! そうだ!」
「赤坂のカエル」【第2回】原稿も時々書くアルバイトの男
中川 確かにちょっと盛りました……すみません! 嶋さんに迷惑かけちゃいましたか?
嶋 当たり前だ! おかげであの連載読んだ女子からすっかり評判が下がってしまって。『嶋さんあんなひどい仕事の降り方するんですか?』なんて、俺のモテを返せ!
中川 そっかぁ。ごめんなさい、嶋さん!
嶋 あと、「このヤロー」も言ってないよ!!!
中川 うん、そこも盛りました! 普段、嶋さんはとても穏やかな人ですから(笑)。いまだから書きますけど、連載では、「嶋さんは始終『バカヤロー!』とか『コノヤロー!』とか言っているキャラにしよう」って決めてたんですよ。おもしろいから。
嶋 まあ、盛った方が確かに面白い。以後気をつけるように。
中川 いや、本当にすみません……。
—— 木下さんとの対談のときとは打って変わって、今日は中川さんずいぶんおとなしいですね……。
中川 そりゃそうですよ! だって、嶋さんはオレにとっての親分ですから。
嶋 会社を辞めてからのほうがサラリーマンっぽくなったよね。中川は。
中川 オレが会社辞めたころに嶋さんが、「中川は会社を辞めて社会人」っていうフレーズを作ってくれたんですよね。でも、「赤坂のカエル」の連載に第2回から最後まで嶋さんが出続けるっていうのをみてもらえば、今のオレがあるのは嶋さんのおかげっていうのがわかりますよね。どれも原稿チェックは一度もさせずに、全部勝手に書いてますけど(笑)。
嶋 そのおかげで、すっかりモテなくなったけど。
朝日新聞でプロレス用「炭素菌」をつくる男
中川 でも、連載を読まれていてどうでしたか? 自分で書いといてなんですが、ずーっと「電波少年のTプロデューサー」みたいな立ち位置でしたが。
嶋 そういう役づくりはなんかプロレスっぽいな。読者の中にも知ってる人が多いとおもうけど、中川は学生時代ずっとプロレスをやってたんだよな。
中川 嶋さんは、フリーになったオレと仕事をし始めた2001年の頃からずっと、一橋大学世界プロレスリング同盟・HWWA(Hitotsubashi World Wrestling Alliance)の興行を見に来てくれているんですよね。
嶋 本当にしょっちゅう観に行ってたなあ。
中川 毎年3回ぐらい開催される興行にほとんど来てくれてましたよね。
嶋 だって「一橋大学世界プロレスリング同盟」ってすごい発見だよ。「一橋大学世界」っていう世界を作っちゃうっていう発想。
中川 そうなんです。一橋大学の世界のなかで1位になったことで、「世界で1位」って言えちゃうっていうのが、プロ研(※一橋大学世界プロレスリング同盟の略)のすごいところで。ちなみに、このプロ研で1位だったのは常見陽平くんですからね。だからあいつは「世界チャンピオン」なんですよ。
—— 嶋さんはなぜそんな毎回観に行ってらしたんですか?
嶋 なんでだろうなあ。でもきっかけはおぼえていて、中川が『セブン』の編集をやっているときに、会社でだいぶ不思議なことをしていたんですよ。
中川 え、どんなのですか?
嶋 デスクの上で中川が、白い粉をせっせと袋詰めしてたでしょ。その姿を見て、編集部の人たちが「なにあれ?」「ヤバくない?」ってザワつきはじめたから、「お前、何やってるの?」って聞いたら「あ、いま炭疽菌を作ってるんです!」とか言うわけ。
中川 あぁ、炭疽菌か!(笑) 懐かしいですね。当時、ワシントンの郵便局に炭疽菌が送られてくるテロ事件があったんですよね! もちろん炭疽菌っていっても、ただの小麦粉ですが。
嶋 そうそう。それで「え、お前なんのために炭疽菌作ってるの?」って聞いたら、「明日の試合で使うんです」っていうんですよ。「炭疽菌使うってなんの試合だ!」って話になるでしょう(笑)。
中川 そんな話をしていたら、ちょうど常見から翌日の試合の流れがエクセルで送られてきたんです。「まずはビンタ」「その後、倒れる」「ここで中川、炭疽菌を撒く」って、プロットが全部書いてある。「アングル」っていうんですけど、それを嶋さんに見せたら、「なるほど、こうやって作るんだ。おもしろい。俺も観に行く!」ってなって、それ以来、ずっと来てくれていたんですよね。