30代、病気にまつわる愚痴
正岡子規(俳人・歌人)
1867年-1902年。伊予国(愛媛県)の出身。本名、常規。大学予備門(一高)で夏目漱石と知り合う。写生俳句・写生文を提唱し、根岸短歌会を結成。短歌革新運動を行う。代表作に『寒山落木』『歌よみに与ふる書』『病牀六尺』などがある。
生活をありのままに写生した俳人の苦しみ
「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」
などの俳句や短歌でおなじみの正岡子規。そんな彼の日記『仰臥漫録』に、
「今日も飯はうまくない」
というわかりやすい愚痴が書かれている。どうして、ご飯がおいしく感じられないのかというと、この時、彼は病で臥せっていたからだ。
子規は、体が丈夫ではなく、学生の頃から何度も喀血を経験していた。そもそも「子規」という筆名は、「血を吐くまで鳴く」といわれている「ホトトギス」の異名である。
その後、脊椎カリエスとなり、30代の多くを病床で過ごした。そんな時期に書かれたのが、日記『仰臥漫録』であり、随筆『病牀六尺』である。その中では
「苦しがって少し煩悶を始める」
「蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある」
「誰かこの苦を救うてくれる者はあるまいか」