60代、仕事にまつわる愚痴
葛飾北斎(浮世絵師)
1760年-1849年。江戸生まれ。幼名、時太郎、のち鉄蔵。画号は最初「勝川春朗」、以後「宗理」「画狂人」「卍」など30 以上用いた。「北斎」もその一つ。引っ越しは90 回以上したという。モネやゴッホなど海外の画家にも多大な影響を与えた。
生涯、貪欲に絵を描き続けた画家
迫力ある大波が画面いっぱいに描かれた『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、ひょっとすると、日本で、いや世界で一番有名な浮世絵かもしれない。
その作者葛飾北斎は、江戸後期に驚くべき画才を発揮した人物である。最初勝川派に入門して絵を学んだのち、狩野派、琳派、さらには洋画まで、とにかく貪欲に絵の道を学び続けた。
そして、美人画、役者絵はもちろん、花鳥画やマンガの元祖ともいえる絵手本集『北斎漫画』を描き、『冨嶽三十六景』などに代表される名所絵(風景画)で人気を博した。
画題だけではない。絵画のジャンルも、錦絵(多色摺り版画)や読本の挿絵、肉筆画などさまざまな分野で活躍した。しかも、人を驚かすようなことが大好きで、お寺の境内に人を集め、120畳もある巨大な達磨絵を描くパフォーマンスなどもやってのけた。
さらに、高齢になっても絵を描き続け、もはや絵画に関しては達人の域に達していた、といってもよいだろう。