菟田野(うだのの)の薬猟(くすりがり)
推古十九年(六一一)五月五日、天皇は臣下たちを従えて菟田野※1で薬猟※2をしました。
一行は、鶏鳴時(あかとき)※3に藤原池※4のほとりに集合しました。そして、会明(あけぼの)※5を待ってすぐに出発しました。粟田(あわたの)ホソメ(細目)臣※6を狩りの前の隊長、額田部(ぬかたべの)ヒラブ(比羅夫)連(のむらじ)※7を後の隊長としました。
この日、お付きの臣下たちの衣の色は皆、自分の位の冠(かんむり)の色にそろえ、冠にはそれぞれの髪飾りをつけていました。
その髪飾りは、大徳(だいとく)、小徳(しょうとく)の位の者は金(こがね)、大仁(だいにん)、小仁(しょうにん)は豹(ひょう)の尾、大礼(だいらい)から下は鳥の尾を使って作られていました。
八月、新羅と任那は使者を派遣して、朝廷に献上の品を差し上げました。
二十年(六一二)正月七日、朝廷では臣下たちに酒を用意して宴会(とよのあかり)が催されました。