その日、山田は仕事終わりに神宮球場の前で柳田を待っていた。一体、柳田が今日は誰を連れてくるのか? ヤキモキしていたところ、突然柳田から電話がかかってくる。
「急ですまない、今日は仕事の都合で行けそうにない」と柳田。
仕方がないので、一人で観戦しようと思っていた矢先、柳田の口から信じられない言葉が飛び出す。
「今日の試合、千佳も楽しみにしてたんだよ。千佳を貸すから、わるいけど今日はふたりで観戦してくれるか?」
一瞬でいろんな感情が沸き起こる。千佳に会えるというこの上ない嬉しさと柳田の何気ない一言に対する怒り。千佳ちゃんは物じゃねえんだから、”貸す”とか言うなよ。この何股”カス”野郎!────とは言えず、「ああ、いいよ」と返事をする。
確かにその日はヤクルトが優勝戦線に残れるかを賭けた大事な試合、自分も柳田も楽しみにしていた。最近我々の影響ですっかりヤクルトファンになっていた千佳が観戦したいと思うのも当然だった。
その日の試合の詳細はほぼ覚えていない。気がつくとヤクルトは負けていたが、自分でもびっくりするくらいどうでも良かった。人生最高の時間だった。野球より千佳を見ていた。
浮かれた山田は調子に乗って試合後に千佳を飲みに誘い、ちゃっかり連絡先までゲットした。それを聞いたところでどうなるものでもなかったが、湧き上がる衝動を抑えることはできなかった。
それでもやはり、千佳に積極的に連絡する訳にはいかなかった。いくら柳田が何股もしていようが、千佳は柳田の恋人、友人の恋人である。だから千佳とは、時々軽いメッセージをやり取りするにとどまっていた。
奇跡のデート以来、柳田と千佳と3人で野球を観戦することは今まで以上に辛くなった。また柳田が急用でこれなくなるようなミラクルが起きないか、本気で願ったりもした。
秋が深まり、プロ野球はオフシーズンに入ってしまった。当然野球観戦へ行くこともなくなり、柳田とは会わなくなった。つまり千佳とも会えなくなった。
さびしかった。驚くほどの喪失感が自分の中にあった。今となっては柳田と千佳と3人で野球観戦をした、あの拷問のような時間すらいとおしかった。
悩んだ挙句、山田は千佳にふたりで会えないかと連絡することにする。春になってペナントレースが開幕するまで待つことはできなかった。柳田が千佳の恋人であることはわかっている。ただ、柳田は千佳に対して不誠実。それを盾にする訳ではないが、自分の気持ちを伝える権利は自分にもあるはずだ。山田は1週間かけ千佳へ送る文面を完成させた。