40代、人間関係にまつわる愚痴
福沢諭吉(教育家)
1834年-1901年。中津藩士。慶應義塾創立者。江戸時代に長崎、江戸、大坂、アメリカ、ヨーロッパで遊学。幕末から明治にかけて西洋事情等の啓蒙に寄与する。主著『学問のすすめ』は、存命中に累計発行部数が340万部に達したともいう。
当時の学者の在り方を嘆いた福沢諭吉
福沢諭吉の代表的な著書である『学問のすすめ』にはこんな記述が登場する。
「世の学者は大概腰ぬけにてその気力は不慥なれども」
当時の学者たちを「腰抜け」呼ばわりする大胆な発言である。どういう趣旨でこの言葉を述べたのか、前後を意訳して解説すると、
「『学問のすすめ』の初編から三編までは一般向けにやさしく書いたのだが、四編、五編は学者向けに書いたので、少々難しい文章になってしまった。世の学者はたいてい腰抜けで、根性もないけれども、文章を見る目は確かで、どんな難文でも困ることがないので、遠慮なく難しい文章で書いてしまった」
という内容である。全文を読めば、決して学者に対して文句ばかりをいっているわけではない。ただし、それならば、逆にいうと「腰抜け」という表現は不要でもある。やはり、この一文、なかなかに挑発的な愚痴なのだ。
しかも、この一文が登場する『学問のすすめ 五編』は、福沢がちょうど40歳になる年のはじめに書かれたものである。実績的には十分とはいえ、年齢的にはまだ中堅どころといえる。福沢諭吉という男、やはり豪快で大胆なところのある人物である。