ライターの対談記事と作家のエッセイ
いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
最近、動画配信やラジオアプリが流行っていますよね。僕もやってみたいなと思って、色々と試しているんですね。でも僕はどうも喋りが下手でして、自分で聞き直してみるとそんなに面白くなくて、「これは発表できないな」って思ってしまうんです。
そういうことを妻に言ったら、「でもこの対談記事であなたが言ってること面白いよ」って言ってくれるのですが、ああいう対談記事やインタビュー記事でも実際の僕は、そんなに面白くは喋れていないんです。
世の中の多くの対談記事やインタビュー記事は、ライターさんが構成してくれていまして、その方たちがとにかく上手いんです。僕も実際、インタビューをして文字起こしをして記事を書いたことは何度もあるのですが、人って意外と支離滅裂な会話をしているんですね。それをまとめるのってすごく技術が必要でして、ほんとプロのライターさんてすごく上手いんです。
一方で、「作家」と呼ばれる方たちがいます。例えば彼らが書くエッセイで、「近所をちょっと歩いてみた。春が終わって初夏が始まるんだな」なんていう文章があったとしますよね。内容的には何も新しくなかったりしても、なぜかその作家独特の視点や文章の個性が前に出てきて、ついつい読ませるっていうことがあります。
世の中の「文章を書くプロ」って、このプロのライターのような上手さと、作家のような個性で読ませる上手さとの2種類に大きく分かれます。先日、エビスビールの小説を書いたとき、エビスの醸造の責任者の方から、ビールの作り方のお話をうかがったんですね。
ああいうメーカーの方って、コンビニで買っても老舗の名店で出されても、老若男女から「美味しい」って思われるビールを作ってきたから、とにかく詳しいし、ビールを理解されているんです。