表参道にあるカフェ「モントーク」に初めて足を踏み入れたのは、24歳のときだったと思う。
ラジオ番組を通して知り合ったメディア業界で働く「お姉さんたち」の女子会に誘われたのを記憶している。学生の頃、浮かれた気持ちでマスコミを志望するも全滅した私にとって、出版社や大手広告代理店などで働くお姉さんたちは、憧れの存在でもあった。
今思えば、彼女たちは気軽に飲もうというスタンスだったことがよくわかるが、当時の自分にとっては、彼女らもモントークも「背伸び」の対象だった。
2000年代のカフェブーム
モントークは2002年にオープンしたカフェで、その建物としての異質さから、10代の小娘には「入れない」雰囲気が漂っていた。
黒いスモークガラスで覆われたこのカフェには、大通り沿いに入り口がない。看板すらないので、パッと見ただけでは「どこから入っていいのかわからない」。近くに寄るとようやく店内の様子がうっすら見えるが、どこか現実離れした空間のように思えた。出入りする客をちらりと見ると、スナップ雑誌「FRUiTS」から飛び出てきたような人ばかりで気後れした。
雑誌で取り上げられているのを見ては「いつかこのお店にはいることができるのだろうか」と思った。この黒いガラスの中に入れる日を夢見ても、通り過ぎることしかできない。それがモントークだった。
2000年代に起きたカフェ・ブームは、独特な食文化を築いたと思う。「カフェ飯」「カフェ・ミュージック」「夜カフェ」「カフェ巡り」……こういった言葉も生まれた。モントークはそんなカフェ・ブームの先駆けのひとつとも言われている。
ブームを通して街には店主のこだわりがつまったカフェがたくさん生まれた。といってもその多くが似ていたような気もする。ボサノヴァ風の音楽が鳴る店内にはイームズやコルビジェの椅子が並び、ペンダントライトが暖色の光を放っていたし、小洒落たデザインのフライヤーが置かれた店内を見渡せば、垢抜けた客が席を埋めていた。
運ばれてくるのは、ロコモコ丼やポキ丼やワンプレートの定食が多く、アボカドやフリルレタスがちょこんと緑を添えているだけなのに、とびきりヘルシーに見えた。白い皿の余白が目立つ程度の量は腹八分目で食べ終わってしまうものの、カフェにはたいてい美味しいコーヒーとケーキが置いてある。夜になれば、バーニャカウダをつまみながら、シーザーサラダやアヒージョを堪能し、モヒートを飲みながらゆったりとした時間を過ごす。
そんなブームから20年ほどの時が経ち、社会も街も大きく変わった。表参道や渋谷・原宿には外資系のカフェから唐揚げ専門店やタピオカ屋が増え、多国籍メニューを揃えるこじんまりとしたカフェは少しずつ姿を消した。
3月31日、カフェ・ブームを牽引したモントークも閉店する。ネットニュースで閉店のニュースを聞いたとき、自分の中で大切な場所が消えてしまうような感覚になった。それほど私のアイデンティティに深く結びついている、らしかった。
20代前半の衝撃
24歳。初めて入ったモントークは、思っていたのと全然違った。店内からは外がよく見え、黒いスモークガラスで囲まれた外観からは想像できないようなアットホーム感があったのだ。ワイワイ賑わう一階から階段を上がると、細かいタイル張りの床は海外のホテルのようでさらに驚いた。思ったよりも広い店内は、贅沢に空間が使われていることを窺わせる。
空間全体を味わってくださいと言わんばかりに、座席数が少ないのだ。
私が通されたのは、2階の奥の席だった。すでに21時過ぎ。女子会はとっくに始まっていたが、席につくなり「お疲れさま〜」と温かく迎え入れられた。
バーニャカウダに、シュリンプカクテル、アボカドロールにトルティーヤチップス。テーブルの上にはすでにたくさんのメニューが並んでおり、ダイナー風のメニューが女子会に彩りを添えていた。
毎日終電まで働くような生活をしていた20代前半の私にはすべてが衝撃だった。