※牧村さんに聞いてみたいことやこの連載に対する感想がある方は、応募フォームを通じてお送りください! HN・匿名でもかまいません。/バナー写真撮影:田中舞 スタイリング:宮寺理美 ヘアメイク:世界のホリエ
「恋愛対象も恋愛感情もないのに性欲がある」
そう聞いて、あなたはどう感じましたか?
「当たり前では?🙂」ってなる人も、「それはつらいね😲」ってなる人も。
ブックガイド付き人生相談『ハッピーエンドに殺されない』。今回は「自慰が虚しい」とおっしゃる方へ、「恥ずかしいことじゃないんですよ~✨」的なキラキラ肯定ではない「自慰の社会史」と「性欲の奥の欲望」の話をします。
まずは、おたよりの紹介です。
牧村朝子さん、こんにちは。
私は仮にネクラネズミとでも名乗っておきます。
私が悩んでいるのは、恋愛対象も恋愛感情も見当たらないのに性欲があるということです。幸い誰彼構わず体を許すみたいなことはしなくて済んでるけど自慰で抑えるたびこの矛盾に悲しみを感じています。だからといって自慰をしなかったらイラついて人間関係にヒビが入るため八方塞がりです。
ある方からは「性欲は趣味でも解決できる」と聞きましたが私の趣味は絵なんですよね。性欲にまみれているときに描いた絵はほぼ例外なくR18で、ネットに掲載したら健全な絵のみを描いている絵描き仲間にドン引かれる可能性が高いためどうせ掲載できないなら描くのはよそう、となります。
牧村朝子さんならこの状況にどう対処しますか?知恵を分けていただけると幸いです。
まず、大前提として。「恋人なし性欲あり」は何も矛盾していないです。ひとりでのひそやかな楽しみを知ってこそ、性行為を「してもらう/させてもらう」じゃなくて「する」ものとして取り返せる。「こんな自分をまるごと肯定してもらうためのセックス」を求めなくて済むようになり、初めて相手が見えて来ると思うんです。
というわけで、「してもらう/させてもらう」じゃなくて「する」ために。相手がいようがいなかろうが内側から湧き出る性欲というものに、「日本社会の人がどう対処してきたか」の話と、「わたし個人がどう対処してきたか」の話をしますね。
言葉の向こうにある歴史
「自慰」。この言葉はもともと、「自涜(じとく)」という言葉の改良版です。
「自分を冒涜する」「自分を涜す(けがす)」と書いて、「自涜」。近代日本文学で触れたことがある方もいらっしゃるでしょう。太宰治『虚構の春』、小林多喜二『蟹工船』などに出てきます。どちらも、明るくはない話ですね。
古い英語でも、「self-pollution(自己汚染)」という言い方をします(参考:Outhistory)。現代日本語では「オナニー」と言うことが多いかなと思います。「オナニー」はキリスト教の聖書由来の言葉です。生殖行為につながらない性行為を、宗教的な罪だとか、文明国として恥ずかしい行為だと断じることで、いわゆる「産めよ殖やせよ」政策を推し進める、政治的意図から来たものだったとわたしはとらえています。
それでも「自分が自分で自分をいたわり気持ち良くすることは何も悪くないはずだ」と訴えた人たちが、「自分を慰める」と書いて「自慰」という言葉を作ったわけです。過去記事で、「自慰」という言葉を広めることに貢献した、小倉清三郎と山本宣治の歴史を紹介しています。
「自慰はよくない」なんてとらえ方をしたら、頑張った小倉さんや山本さんは泣いちゃうと思うんです。「自慰という言葉を作った意味!!」ってなっちゃうと思う。「自慰をしなかったらイラついて人間関係にヒビが入る」じゃなくて、「自分を慰めることができているから円滑な人間関係を築くことができている」と考えてほしいなって、わたしは思います。
そういうお話をした上で、申し上げるのですが……
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