蘭ちゃんへ
こんにちは!
京都は紅葉の時期だと聞いて、飛んで行きたくなりました。きれいだろうなあ。旅の予定はないけど、会いたい人に会って話す小さな予定を楽しみに生きております。
車を手に入れた蘭ちゃんの、奮闘と新しい楽しみ、とてもいいね。飛び込んでみてほんとうによかったね。わたしも何か新しいことをはじめてみようかなあ。
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未来についての話を聞かせてくれて、ありがとう。やってみたいことがたくさん書いてあって、すごいなと思いました。というのも、わたしは「いつかこれをやってみたいなあ」と思っていることが、今までもなかったし、今もイマイチ思い当たらないからです。
これは「やりたいことがない」について散々書いてきたことや、「未来について考えるのが苦手」と同じです。
とはいえ、何も変化がないわけではなく、歳を重ねるたびに行きたい方向ややりたいことができるようになっています。たとえば、ひとり暮らしをすることや、人と話す仕事をすること、気が合う友達と一緒にいること、などです。ただ、これらをはじめるとき、未来に向けて「これをしたい!」と目指したわけではありませんでした。過去の自分が本当はこうしたかったのだとわかって、見つけて、取り戻すように「今からやろう」と思ったのです。つまり、わたしは「これからやりたいこと」を探すのに、未来を見るのではなく、一旦過去を見ているのですね。
未来について考えるとき、一度過去を経由しないと見ることができないのは、我ながら不器用で天邪鬼だなと思いますが、まあしかたがない。たぶん性分だからです。
前にも書いた気がしますが、わたしは高校生のころから、友達が「将来、結婚したい」と言うのを聞いて、結婚はひとりでするものではないから、目の前に誰かがいて「この人と結婚したい」と思うのはわかるけど、「結婚がしたい」という意味がよくわからないな、などと感じていました。まあ正論ですが、願うだけは自由だよなと今では思います。
これは、前回書いたように「自分はしあわせになるべきだ」という初期設定ができていなかったので、自分がなりたいと思えばそうなれると信じられなかったのですね。「しあわせになれるわけがないのに、願っても仕方がない」と思っていたのかもしれません。
ただ、未来の幸せを願えなかったとしても、目の前の出来事や相手に対して思うことは信用できるという考えがあったのは、まだ救いがあるし、今でもそれはいちばん大事な感覚だと思っています。
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未来について考えるのが苦手な理由は、考えようと視点を未来へ向けると、まずワクワクより先に不安がやってくるからです。それは、闇雲な漠然とした不安ではなく、いつもリアルな経済的な不安でした。