男と同等に扱われると言う名の搾取―『舞姫』7

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ正しい物語である」と。そんな神の支配する世界に生きる内気な姫さよが次に飛ばされた物語の世界は、『舞姫』。海外小説の翻訳に取り掛かった彼女は、エリクとの結婚の道を選んだ。自分の翻訳に集中する環境ができたと思いきや、そこに待っていたのは牢獄のような日々だった。河出書房新社から好評発売中、雀野日名子さんの痛快エンタメ小説をお届け。(提供元:河出書房新社)

〖姫君、これにて真の幸福を手に入れたり?〗


ベルリンの地を踏んで二年が過ぎ、豊子とよこはエリク・フォーゲルと結婚した。豊子から求婚した。経済面でも精神面でも自立しているのに、受け身の生き方に甘んじる必要がどこにあるだろう。

戸籍を取り寄せられないので日本国籍のままでの入籍となった。公使館に相談することには抵抗があったのだ。小さな教会での簡単な挙式に出席してくれた相沢郷あいざわごうは、結婚祝いに美しい筆記帳をくれた。

「魔法の帳面ですの。細田豊子の物語をお書きになって。そうすればあなたの人生はそのとおりに動いていきましてよ。それこそが私が読みたくてたまらない物語ですわ」

豊子は興味を引かれた。とはいえ主人公の名を「細田豊子」にするのは気恥ずかしい。そうだ「サヨ」にしよう。夢のなかで天女に呼ばれたあの名前で書いてみよう。


海を渡ったサヨは、異国の王子様を見初めて求婚しました。結婚したふたりは小さなお城で慎ましやかに暮らし始めました。年老いた女王様も一緒です。

あたたかい料理を用意して伴侶の帰りを待つ、美しく心やさしい王子様。そしてサヨは思う存分に仕事をして、お城を支えるのです。


豊子が書斎で集中したいときは、エリクは家事一切を引き受けてくれる。

「ロンドンの大舞台にだって立てる女優がいたんだ。見初められて玉の輿に乗ったけど女優人生は終わりさ。本人がそれで納得してるならいいけど、才能ある女の人は活躍を続けて評価されるべきだし、それを応援するのが男の責任だと思うんだ」

そう話すエリクは毎朝の出勤前に心をこめてコーヒーを淹れてくれる。


サヨはお城の壁を塗り替えようと思いました。いたみも進んできているからです。どんな色がいいかしらと王子様に相談しました。君の好きな色にしようと王子様は言いました。


この地区になじんだ豊子は結婚後も集合住宅に住み続けている。とはいえ壁のがれがひどくなってきたのでエリクと話し合い、塗りなおすことにした。『人形の家』と『月世界旅行』の邦訳が順調に版を重ねていることもあり、資金にはある程度の余裕がある。だが銀行で出金しようとした豊子は、行員の思わぬ言葉に阻まれることとなった。

「ご主人の許可は得ておられますか?」

自分の収入を自分の口座から下ろすのになぜ夫の許可が必要なのかと尋ねると、妻の収入でも夫婦の共有財産とみなされ、夫の管理下に置かれるからだと言われた。法的庇護者がいない場合を除き、女性が一定額以上を払い出すときは男性親族の許可が必要なのだと。

「あなたは細田豊子からトヨコ・フォーゲルになったのですから」と行員は言った。


お城の壁はすっかり直り、女王様も喜びました。サヨは亡き母にできなかったことを女王様にしてあげたいと考えています。女王様は「私を母同然に思ってくれるだけで嬉しい」と言いました。それを聞いた王子様は「君を必ず幸せにします」とサヨを抱きしめました。


豊子の収入を管理するエリクは豊子が良いものを書けるようにと上質な肉の塊を買い、母親には行商人から不老不死の薬を買った。食べきれないほどの肉もまやかしの薬も買ってはいけないと豊子は諭すが、エリクはそれが家族を幸せにすることだと信じている。


お城には長い冬を乗り切れるだけの食糧がありました。けれども王子様は「こんなにあるのだから」と食べ尽くしてしまいました。収穫の季節はまだ先です。途方に暮れる王子様と女王様に留守番を頼み、サヨは食糧の調達に出かけました。サヨは剣よりも強い武器を持っているのです。


残高の底が見えてくると銀行は払い出しを止めた。次の為替かわせが届くのは二ヶ月後だ。身を裂かれる思いで十冊ほど蔵書を売ったが、三日も経たないうちにエリクの親戚の葬儀代に消えた。

豊子はベルリンの低俗雑誌に売文を始めた。『宇治拾遺物語うじしゅういものがたり』や『霊異記りょういき』に収録された猟奇話や怪奇譚を西洋風に変えて持ち込むと、その場で換金してもらえた。匿名でのやっつけ仕事で銀貨を得る自分が恥ずかしかった。

そんな豊子にエリクは肉料理や白パンを用意し、芳醇なコーヒーを運び、仕事を辞めた。

「俺が辞めても劇場は困らないけど、豊子の仕事は多くの人に求められてるんだ。家のことは俺が全部やるから、トヨコは仕事のことだけ考えてくれればいいから」

──男同等に活躍して認められたいとの悲願が叶えられて、本望であろう?

期待に満ちたエリクの眼差しから、あの「大きな目玉」のささやきが聞こえてきた。

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子
河出書房新社
2021-11-02

この連載について

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ“正しい物語”である」と。 そんな神の支配する『竹取物語』の世界に生きる内気な姫さよは、帝の后選びの場で勝気な姫ごうに出会う。自由を求め物語の神に反旗を翻した二人は、『源氏物語』から『平家...もっと読む

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