八月最後の日の昼下がり。
フランクル一家との形式的な別れの挨拶が、この地で交流した人との最後の会話となった。一家の子どもたちと遊んだときのドイツ語。リヒャルトと語り合ったときのドイツ語。彼の友人たち、ドリス、大学の教授たちと交わしたドイツ語。エリクのざっくばらんなドイツ語。だが豊子が最も恋しいのは相沢郷の日本語だった。異郷で耳にする貴重な母国語だったからではなく、遠い昔から知る声だった気がするのだ。
軽く肩を叩かれて振り返る。閉じた日傘を手に、
「行き違いになるところでしたわ。船にお乗りになってからでは間に合いませんもの」
相沢郷は鞄から封筒を取り出し「公使からですわ」と差し出す。留学継続の許しが出たのだろうか。豊子は急いで開封する。予想もしないことが書かれていた。
〈ホソダ セツ キュウシス〉
母の急死を知らせる、故国からの連絡だった。
「お悔やみを申しあげますわ。消印から逆算しますと、あなたの帰国決定をご存じないまま亡くなられたようね」
便箋を見つめていた豊子は、待合椅子に座りこむと手紙を額に押しつけた。
「墓前にどう報告すればいいのでしょう……」
「お墓はありませんわよ。あなたの故郷は先月、洪水で沈んでしまいましたの。家々も墓地も役場の戸籍帳も何もかも半永久的に泥の下。帰国なさってもあなたは幽霊でしかありませんわ」
にわかには信じられず、豊子は
「公使にお会いできないでしょうか?」
「公使は同じことを二度は
「それは……母の望む生き方ではありません。あの世の母に顔向けできません」
「あなたはお母さまの人生の代行者なの?」
相沢郷は鍵盤に指を走らせるかのように、豊子の肩から手首までをたどった。
「仕事をご紹介しますわ。それまで私の部屋にお泊りになるとよろしくてよ」
相沢郷は待合椅子から立つと豊子の手を取り、駅出口へといざなった。