物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ正しい物語である」と。そんな神の支配する世界に生きる内気な姫さよと、勝気な姫ごうは『仮名手本忠臣蔵』の世界にいた。太夫の援助により、未亡人たちは本当に討ち入りを果たすことになる。しかしそこにはもちろん、行く手を阻む物語の神の仕掛けがあった。河出書房新社から好評発売中、雀野日名子さんの痛快エンタメ小説をお届け。(提供元:河出書房新社)
【赤穂四十七女の討ち入り】
書見台に置いた『やまいだれ四十七士』をめくる物語の神のもとに、富子が現れて告げた。
京に集結していた後家たちに浅野家養女が加わった三十余人が、内匠頭の墓参と称して江戸に入ってきた。噂に聞く黒橋太夫が資金を出し、後家たちは道中の大旅籠という大旅籠で贅沢三昧。関所の役人にも心付けを大盤振る舞い、大井川の徒歩渡しでは大名行列顔負けの人足の数。箱根関や新居関で止めさせようとしたが、東海道の藩主はことごとくが太夫の支援者なので通過させてしまった。今は物見遊山や美食巡りに明け暮れ、浅草の大山屋を貸し切り、市川團十郎や坂田藤十郎といった当代一の歌舞伎役者を呼んで酒宴を開いている。
「江戸の民は赤穂の後家たちを苦々しく見ておりますが、恥知らずな後家のふりをしつつおまえさまを襲撃する機を窺っているのやもしれませぬ。おなごという生きものは何をしでかすか分かりませぬゆえ、くれぐれもお気をつけあそばされませ」
それだけ言うと富子は去っていった。夫への最後の忠告のつもりなのだろう。富子は年の瀬に実家に送り返すことになっている。
物語の神は小筆を取ると、『やまいだれ四十七士』の吉良邸の描写部分に「いかなる方法を用いても侵入不可」と書き加えた。
赤穂浪士の後家たちが江戸でお大尽遊びに耽っているとの噂はまたたくまに全国に広がり、討ち入り不参加の文を返した女たちや、文を返すことすらしなかった女たちの耳にも届いた。
夫の後を追うために断食に入ったから参加できないと返信した小野寺十内の奥方は、自分を恥じた。実は夫と交わした和歌をまとめるべく部屋に籠もっているうちにぶくぶくと太り、皆の前に姿を晒すことなどできなくなってしまい、出席を断っただけだったのだ。
病床から出られないと理由づけて不参加を伝えた勝田新左衛門の奥方も、後家たちが江戸に来ていると知って悶々とした。夫の縁戚である農家に再嫁した彼女は、日焼けして黒くなった顔や、泥がこびりついた爪を他の後家たちに晒したくなかったのだ。彼女は、夜なべで草鞋を編みながら自分の手を見つめるようになった。
夫の死後も婚家に残った奥方たちの耳にも江戸からの噂は届いた。舅にも姑にも「そなたのように出来た嫁をもらって果報」「そなたこそ妻の鑑、母の鑑」と誉められていたのだが、そうした誉め言葉に虚しさを感じるようになった。
私はこのままの私でいいのだろうか。
女たちは、ひとりまたひとりと江戸へと出立したのだった。
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