〖おなごたちのお目覚め〗
結局、討ち入り計画は中止となった。
どうがんばっても三百両もの大金をひと月で作れるはずがない。金貸しだって「財力のある親族」という担保のない女には一両だって用立ててはくれない。いくら誇り高い志を持っていても、先立つものがなければ叶えられやしない。竹月院の
大奥入りの日も近い元女中のキヨに相談しようと提案する者もいた。だがまだ嫡男を産んでいないキヨの立場では、十両ほど都合をつけてもらうのが精一杯だろう。ちなみに竹月院が貯めこんでいるという噂は消えた。女郎の世界で金銭への嗅覚を鍛えてきた神崎の奥方が、竹月院の懐具合を見抜いて女たちに話したからだ。
竹月院は
〈諸々ご報告が遅れました非礼をご寛恕頂きたく
神社のご利益で
そんな折、歌舞伎の山村座が江戸から巡業に来た。「もし四十七士が吉良の首を取っていたら」という筋書きを鎌倉時代の仇討ち話になぞらえて作ったのだが、公儀のお
構想を練るために宵の境内へと出向くと、次席家老の奥方が月を眺めていた。竹月院に気づいた彼女は、「あの算盤は討ち入りを断念させるための策だったのですね」と微笑んだ。
「せめて歌舞伎のなかで無念を晴らしてやってください。男の無念だけでなく、このたび集まったおなごたちの無念も」
帰宅した竹月院は文机に向かった。男たちの無念は吉良の首を掲げて凱旋する結末にすればまとめて晴らせるだろうが、女たちが抱える苦悩は様々で複雑で、どう仇討ち物語に絡めていけばいいのか、どうすれば歌舞伎のなかで昇華させればいいのかと悩まされる。
筆を置いて夜空を仰ぐと、月が微笑んでいる。月を眺めて考えにふける竹月院を、両足を投げ出して座る軽が眺めている。
*
嵐山の紅葉が色づき始めた頃、光陰寺の中庭に設営した舞台で歌舞伎が披露されることになった。題目は『いろはうた忠臣蔵』仮名の数が四十七であることに由来する。
濡れ縁には竹月院を含めた三十四人が数珠や位牌を手に座している。夫の役職順に座順が決められたので竹月院はりくと並んで座ったが、どちらからも何も話さなかった。軽は舞台裏の楽屋を見物に行き、瑤泉院は結局来なかった。
幕開きを知らせる拍子木が響いて松の廊下が現れ、序段が始まった。
舞台は二段目へ進み、四十七人が生きていたらどのように心願を成就したかが描かれる。舞台の中央では
場面が変わり、男たちが苦悩する姿が描かれる。討ち入り計画を秘密にしたまま、訣別の準備を始めなくてはならない。ある者は酒に溺れ、ある者は妻に「そなたさえいなければ」と吐き捨て、ある者は唐突に離縁状を残して去っていく。舞台左側では「妻」や「母」を演じる女形たちが忍び泣き、右側では浪士役の役者たちが客席に向き合って心のうちを告白し、詫びの言葉やこれまでの感謝を語る。鑑賞する女たちはむせび泣き、貞立尼は
またもや舞台は変わり、最後の段へと移る。江戸に集結した四十七人が貧苦の潜伏生活に耐えた後、見事に討ち入りを果たして凱旋するまでが描かれる──はずだったのが、どうしたことか、始まったのは、竹月院が書いたものとはまるきり違う展開だった。まず登場したのは、伝令役に命じられながら水あたりで命を落とした寺坂吉右衛門と、寸暇を惜しんで書を読みながら歩いたため、つまずいて死んだ奥田孫太夫である。
質素な
続いて奥田が書を読みながら反対側の舞台袖から現れ、どぶ板を踏み抜いて昏倒、書だけは離すまいと弱々しく手を伸ばす。拍子木がチョチョンと鳴り、「あいや無念、最後まで読みとうござった」と事切れる。手元の書がぱらりと開き、春画が現れた。
女たちは凍りつき、竹月院は頭が真っ白になる。江戸での潜伏生活を送るうちに田舎出の浪士たちは良からぬ遊びを覚えるようになり、討ち入りに備えて膝を治すと言って
七変化の役者たちはこれぞ男の江戸生活と言わんばかりの享楽絵図を展開し、浪士たちは飲みすぎ遊びすぎのあげく、「あいや無念」と倒れていく。そしてチョチョンと拍子木が鳴り、あっさりと幕は引かれた。
女たちは沈黙するばかりだった。それぞれに思いあたる節があるのだろう。