20代、不遇・人生にまつわる愚痴
太宰治(小説家)
1909年-1948年。青森県出身。本名津島修治。『走れメロス』『ヴィヨンの妻』『斜陽』『人間失格』など数多くの傑作を残したが、最期は玉川上水に入水して自ら命を落とす。遺体が発見されたのは、奇しくも彼の誕生日だった。
若かりし頃の太宰の苦悩
太宰治といえば、いまだに熱狂的なファンも多い日本の文豪の一人だ。その作品はもちろん、ファンの間では、残された書簡の数々までも、愛されている。
中には、少々奇妙な手紙もある。その一つを、少々長いが引用してみよう。
「ぼくをそっとしておいてくれ。そっと人知れず愛撫してくれたら、もっと、ありがとう。
このごろ、よく泣く。ぼくはいま、文章を書いているのではない。しゃべっているのだ。口角に白いあわを浮かべ、べちゃべちゃ、ひとりでしゃべりどおしだ。
千言のうちに、君、一つの真実を捜しあててくれたら、死ぬほどうれしい。ぼくは君を愛している。君も、ぼくに負けずにぼくを愛してくれ」
正直、少々支離滅裂気味だ。本人も「真実を捜しあててくれたら、死ぬほどうれしい」といっているくらいだから、文章が難解で、意図を理解することが難しいのも当然といえるだろう。この手紙は同郷、同い年の作家で、親しかった今官一に宛てたものである。文中に
「このごろ、よく泣く」
とあるが、太宰がいったい何が原因で泣いていたのかは、そういった理由で手紙の文章からはつかめそうもない。しかし、この手紙が書かれた1935年というのは、太宰の精神に大きな打撃を与える事件が重なった年でもあった。