【女人、おのれの分を知る】
一ノ谷の合戦は源氏の大勝となり、頼朝は貢献した武将たちを昇進させた。
大手軍を率いた
景時は息子ともども多くの敵将を討ち取ったことで、四つの領国の守護職へと昇格した。崖下で馬の下敷きになり、息も絶え絶えの状態で発見された良兵衛は、危険な
範頼が手柄を上げることができたのは、
合戦の後、平氏の残党はさらに西の屋島へと逃げていき、頼朝は範頼に追討の準備を始めさせた。義子の補助部隊は解散させられ、義子は都の警備担当に降格となった。
都に引き返す義子は四十人あまりの兵を同行した。手柄を上げられないまま体を
「隊長どのが男であれば、逆落としの策を評価されたであろうに。
「あの策が功を奏したのは、そなたのおかげです。それにもう隊長ではありません」
義子は、兵たちの馬が遅れていないかと振り返って確認する。
「では義子どのと呼ぼうぞ。だが、なにゆえまだ男の身なりをしておるのじゃ」
「隊長職は解かれたものの、まだ武人ではあります」
義子という名は、男の元服である十五歳のときに頼朝から与えられたものだ。
「白拍子どののお名前は?」
「静と呼ばれておる。だが本当の名は
ごう。なんだろう、この懐かしい響きは。
「男装の太刀舞を考案した母上が、ふさわしい名をくださったのじゃ。されど母上の庇護者となった坊主が、舞姫らしき名にせよと静に変えてしもうた。坊主も坊主だが母上も母上じゃ」
「ならばそなたのことは、ごうどのと呼べばいいの?」
「義子どのにそう呼ばれると不思議と心地よい。されど……静でよい」
白拍子は、それきり何も話しかけてこなかった。
都に入った義子は戸惑った。多くの民にあたたかく迎えられたからだ。
行き場を失った女こどもを寺に避難させるために、合戦場への進路を変えた女武将が、都を護るために戻ってきてくれた──そう思われているらしい。義子が十歳まで京で育ち、京の言葉を使える「みやこびと」であることも、歓迎の理由となったようだ。
──おのれが弱みだと思うておることは存外、強みになったりするのだぞ。
少し前に静はそう言った。ならば女人であるという弱みを弱者のために活かそう。治安の乱れが続くなか、犠牲となりやすいのは女こどもや年寄りだ。人には言えない苦しみも、同じ女人の武人になら打ち明けられるかもしれない。そもそも自分が男の戦場に出るなど無理だったのだ。あの
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