雨の合間を縫って梅干しをようやく干す。丁寧な暮らしというより、夏祭りのような恒例行事
人は誰でも老いていく。これまでできていたことが、一つ一つできなくなっていく——。
それは残念ながら、現代の誰もが逃れることのできない現実だ。
金持ちだろうが大統領だろうが関係なし。
科学が解決? 残念ながらそれも望み薄だ。むしろ医療の発達で、問題はより深刻化している。人生100年時代とやら。それは若さの延長ではなく、まさかの老いの延長であった。病み、衰え、日々無力になっていくばかりという辛く悲しい時間がぐんと引き延ばされた時代を、我らは歯を食いしばって生きていかねばならなくなったのだ。
というわけで当然、誰もがそのことに怯えているわけです。
でも私の見る限り、「コレ」といった解決策はまだ現れていない。
せいぜい、あれこれの健康法をお勧めしたり、金を貯めて乗り切ろうと呼びかける程度のことである。もちろんいずれも無駄ということはなかろうが、いくら健康に気をつけていても病気になるときはなる。いやむしろ、長生きをすれば認知症になる確率は確実に上がっていく。というわけで、残念ながら本質的な解決策とは言えない。
金の力とてやはり万能ではない。高級老人ホームで至れり尽くせりの老後を過ごしたとて、それが本当に幸せなのだろうか。昨日できたことが今日できなくなる、自分が自分でなくなっていく、自分が誰からも必要とされなくなっていく……という老いの本質的な悲しみは、豪華な調度品に囲まれたベッドの上で過ごしたとて、そう簡単に癒されるものではなかろう。
というわけで、ああ一体どうしたら……と立ちすくむ我ら。
ところが私。まさかの。大変に現実的な解決策を思いついてしまったのだ。誰でもできるし、お金もかからないし、そして確実に成果が得られる方法である。
それはですね……。
そう、「家事をやめる」ことであります。
すなわち、暮らしを思い切りシンプルにして、便利なものに頼らず、自分の五感をフルに使って、日々生き生きと、楽しく、そしてカンタンに、自分で自分の面倒をみて暮らすことだ。
一体なぜそれが、老いの苦しみをなくすのか? はい。それをこれから説明しようと思う。