女光源氏があらわれ、紫式部は激怒する―『源氏物語』5

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ正しい物語である」と。そんな神の支配する世界に生きる内気な姫さよと、勝気な姫ごうは『源氏物語』の世界へ送り込まれ、佐与と光子として生まれ変わる。奪われた物語を取り返すため、光子は女源氏として世を轟かす一方、噂を聞きつけた紫式部は激怒し彼女たちの物語を汚すため、次の一手を打つ。河出書房新社から今秋発売予定、雀野日名子さんの痛快エンタメ小説を、いち早くお届け。

紫式部は、庭園に面した廊下をしずしずと歩いていた。

梅から桜へと季節が変わるこの頃、朝の働きを終えた女房たちは花を愛でつつ、雑談の時間を過ごす。紫式部は、彼女たちの雑談にさりげなく耳を傾ける。

雑談の内容は、だいたいが『源氏物語』のことだ。夫が他の女のもとに通い、悶々とする女房は、『源氏物語』の女人にょにんたちと苦しみをともにする。あるいは、夫の愛を完全に失ってしまった女房は、光源氏の女人論を読んで反省し、老いるまでにせめてもう一度恋文を贈られたいと、はかない夢にすがる。そんな彼女たちは紫式部の姿を目にすると、こぞって新作を催促する。この女人作者にとって、これほど気分の良いことはない。

だがこの日、紫式部の耳に入ってきたのは「女源氏」という違和感のある言葉だった。紫式部は笑みを浮かべ、「わらわも入れてくだされ」と女房たちの傍らに腰を下ろす。女房たちは「式部どのはいかが思われますか?」と声を弾ませた。

「女源氏のことでございます。次々に貴公子の屋敷に忍んではちぎりを結ぶ、若き女人でございます。当初はあそではないかと言われていましたけれど、遊び女にしては衣が上質で物腰には品があり、文字も美しくふみも巧みで、高貴な家柄の姫君に間違いなかろうと」

「初耳です。そのような女人を光源氏になぞらえられるとは、愉快なことではございませぬ。和泉式部にまさるみだらな女人。どこの姫君かは知りませんが、口にすることすらはばかられます」

「和泉式部は男たちに翻弄されておりますが、そういう男たちを女源氏は翻弄するのです。後朝きぬぎぬの文を寄こせと使いをやり、文の代わりに衣と烏帽子えぼしを持ち去り、朝に見た相手の顔が気に入らなければ、それきりで縁を切り。醜男ぶおとこの藤原式部丞しきぶのじょうどのは、女源氏にもてあそばれたと泣きくらし、式部省の人事考査に落ちてしまわれたとのこと」

紫式部は、わずかに眉間にしわ寄せる。それではまるで──。

「まるで、『末摘花すえつむはなの巻』にございます。あの哀れな末摘花は、皇女光子ひかるこ様の乳母の娘かと思っておりましたけれど、式部丞どののことだったとは」

女房たちは愉快でたまらない様子である。

「それに、都は広いようで狭いもの。どの貴公子が女源氏にどのような扱いを受けたか、噂が流れてくるのでございます。在原中将どのは、女人という女人を恋い焦がれさせる方でしたのに、なんとまあ、それこそ口にするのもはばかられる」

「わらわは、いい気味だと思いまする」 別の女房が、ほほほと口元を扇で隠す。

「中将どのは、強引に契った女人を平然と捨てるお方。そのような中将どのが、女人に手籠めにされたあげくに袖にされるとは、まことに愉快なこと」

女房たちは、中宮や帝の目がないのをよいことに、男はあああるべしこうあるべしと、言いたい放題に理想の条件を並べたて、文を寄こしたことのある貴公子たちを細々と批評する。あげくのはてには、「夫のもとへ女源氏を差し向けてやりたい」と言いだす有様である。

紫式部の顔から表情が消えていく。 目の前で繰り広げられている光景は、まるで「帚木の巻」ではないか。

紫式部の物語から、女人は「正しい女人のありかた」を学ぶべきである。だが今、女房たちが夢中になっている「帚木の巻」は、女源氏に歪められた物語だ。「帚木の巻」だけでなく、「末摘花の巻」も。

「光源氏に見そめられる自分を想像するより、女源氏のように生きる自分を想像するほうが、心がときめきまする」

紫式部の世界は、女源氏という謎の存在に奪い取られようとしていた。

紫式部は、その日のうちに藤原卿をを訪ねた。

藤原卿は既に女源氏の噂を耳にしており、含み笑いを浮かべていた。

「そなたは正しい物語を書く女人。案じずとも、必ず護られよう」

「女源氏を葬ってくださいますか」

ふたりきりのときは、紫式部は扇で顔を隠すこともない。

「わざわざ手を下さずとも、みずから葬られよう」

「どういう意味でございますか」 藤原卿は、それには答えなかった。

「ところで式部よ。新作はどのようなものを書かれるのか」

「義母の面影を持つ少女に光源氏が恋心を抱き、親代わりとなり育てる物語でございます。最高峰の男がいかに女人を教育するかを、女人に学ばせるのです」

紫式部の答えを聞いた藤原卿は、「そなたに筆を与えて正解であった」と笑った。

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子
河出書房新社
2021-11-02

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ“正しい物語”である」と。 そんな神の支配する『竹取物語』の世界に生きる内気な姫さよは、帝の后選びの場で勝気な姫ごうに出会う。自由を求め物語の神に反旗を翻した二人は、『源氏物語』から『平家...もっと読む

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