私の夢は無残にも紫式部に奪われた―『源氏物語』3

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ正しい物語である」と。そんな神の支配する世界に生きる内気な姫さよと、勝気な姫ごうは『源氏物語』の世界へ送り込まれ、佐与と光子として生まれ変わる。佐与はある男に名誉を汚された挙句、世に流行する『源氏物語』には佐与の身に起きたことがそのまま書かれているのだった。河出書房新社から今秋発売予定、雀野日名子さんの痛快エンタメ小説を、いち早くお届け。

【物語を奪う者】


佐与さよ、父君から新しい書が届いておる。そなたの部屋に運ばせよう」

梅のつぼみがふくらみ始める頃、つづらが届けられた。季節の折々に届けられるつづらには、佐与のための書だけでなく、光子ひかるこが好きな菓子や反物たんものが同梱されている。子を授からないことを焦る中宮ちゅうぐうは、いよいよ更衣こういに似てきた光子を宮中に来させまいとしている。だから帝は佐与へ書を贈ることを口実にして、光子に手渡しできずにいるものを届けてくるようになったのだ。

やはり去年の秋、七日間ばかり宮中に滞在していたときに、中宮と光子は大喧嘩をしたそうだ。そしてその七日間のあいだに佐与の身に起きたことを、光子は知らずにいる。

たとえ突然であれ強引であれ、ちぎりを結んだ相手には自然と情が湧くのが女人にょにんの習性──恋物語ではそう説かれている。けれども佐与の心にはいまだに、みじめさしか湧いてこない。

宇津保うつほ物語の続巻と、落窪おちくぼ物語の続巻か。源氏物語の新作まで入っておる」

つづらを物色しながら蜜菓子をほおばる光子が、佐与の目には幼く映る。

「知っているか佐与? 宮中では、紫式部を読まぬ女人は女人にあらずという格言があるそうじゃ。あんな馬鹿げた格言を広めさせたのは、どうせ藤原のじじいじゃ」

光子はまだ、契りを結んだことも結ばされたこともない。帝に似た相手でなければ契りを結ぼうとはしないだろう。光子の理想の男は帝なのだ。舞楽に招かれたあのときも、光子は蘭陵王らんりょうおうではなく帝の横顔ばかり見ていた。その眼差しに籠もるものが思慕や情愛の念をはるかに超えたものであることにも、佐与は気づいていた。帝は気づいていない。けれども中宮は気づいている。

「我もそなたも女人である前に光子と佐与という人間。父君は分かっておられぬ。だからこのような書ばかり送ってくるのじゃ。ところで佐与、そなたの物語はつつがなく進んでいるか?」

「……墨をこぼして、読めぬものになってしまったの」

「それは残念じゃ。ならばまた一から書き直せ。手探りで進む初回よりも、感覚をつかんだ二度目のほうが良いものになることもあろう。女武侠伝おんなぶきょうでんの老師も、そう語っておったよ」

光子の言葉が胸に迫る。そう、自分の物語を一度の筆で完成させる必要はないのだ。壊されれば、そこから何度でも書き直せばいいのだ。

佐与は、光子がつづらから取り出した書を見る。『源氏物語』の新作の題名が「末摘花すえつむはなの巻」だと気づき、息苦しくなる。末摘花は紅花べにばなの別名。式部丞しきぶのじょうふみを結んで送ってきた花だ。

佐与は「末摘花の巻」ではなく、もう一作のほう、「帚木ははきぎの巻」から読むことにした。


「帚木の巻」は、貴公子たちが女人の品定めをする内容で、頭中将とうのちゅうじょう藤式部丞とうのしきぶのじょうという貴公子が登場する。式部丞は漢籍を読みこなす女人を好み、文章博士もんじょうはかせの娘のもとに通うが、「ここ数日にんにくで作った風邪薬を飲んでおりますので、私は臭うございます」と、つれなくすだれごしに言われるばかり。「漢籍自慢の女人は体臭までもが鼻につく」と、貴公子たちは酒のさかなにする。

頭中将は、妻以外のめかけを持つのであれば従順そうな女人がよいが、頼りなさすぎる女人も面倒だと、自身の失敗例を語る。左馬頭ひだりのうまのかみという者も加わり、地味でうぶな女人のほうが手懐てなずけられそうだと笑い飛ばす。一同は、「従順だが頼りなさすぎず、教養があっても夫の前ではおくびにも出さず、裕福な実家を持つが鼻にかけず、いつまでも美しく上品であること」こそ、女人のあるべき姿だと結論づけるのだった。

物語中には、佐与が受け取った和歌が、ほぼそのままの形で織りこまれていた。それだけでなく、「にんにくの臭いが消えるまで会わない」とは、なんと我の強い女人だろうと式部丞が歌をむ場面まで盛りこまれていた。

「末摘花の巻」のほうは醜女しこめの話だった。垣根ごしに見た女人に興味を持った光源氏と頭中将が、どちらが先に女人をものにできるかを競う。しかし女人はぐずぐずした性格で、気の利いた返歌をすることができず、光源氏と頭中将をやきもきさせる。

しびれを切らした光源氏は、ある夜、屋敷に忍びこんで強引に契りを結ぶ。だが夜が明けて女人の顔をよく見ると、額が広いうえに鼻は赤みがかって不恰好。興ざめした光源氏はそそくさと帰宅し、後朝きぬぎぬふみも出さなかった。ただ、あまりにも不憫なのでその後の生活の面倒は見たが、あの醜い顔は二度と見なかった。この「末摘花の巻」にも、佐与に贈られた和歌が、ほぼそのままの形で織りこまれていた。そしてこの女人の目鼻立ちの描写は、佐与のそれに似ていた。

綿入わたいれを着ていても、佐与の体の震えは止まらなかった。

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子
河出書房新社
2021-11-02

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ“正しい物語”である」と。 そんな神の支配する『竹取物語』の世界に生きる内気な姫さよは、帝の后選びの場で勝気な姫ごうに出会う。自由を求め物語の神に反旗を翻した二人は、『源氏物語』から『平家...もっと読む

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