蘭ちゃんへ
こんにちは!
東京も涼しくなりました。秋が好きなのでうれしいです。絶好の行楽日和ですが、今年もまたどこにもお出かけできずにガマンが溜まる一方です。あと少し、あと少しと希望を持っていた昨年とは違い、すっかり諦め上手になったわたしたちですね。やだやだ。
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本の読み方について、またしてもわたしと蘭ちゃんは見事に真逆だったね。おもしろいな。
わたしも、学生の頃は、蘭ちゃんと同じように自分を知るために本を読んでいたような気がします。本の中に自分を探し、見つかるとうれしいその感覚を、わたしも知っています。でも、今では、読書は自分以外のものを知って、自分を拡げるための行為です。
本を読むとき、小説でもエッセイでも、読みながら、そこにある誰かの物語と自分を比べたり、わかるかどうか確認するように読まないように気をつけています。もしかしたら、それが蘭ちゃんの書いていた「自分を知るために読む」方法で、自分に興味が向いているときには読めない理由かもしれません。
これは、この前ここで話した「人の話を聞く」やり方にとても近いです。誰かの話を聞くときに、聴きながら自分について考えずに「ただ聞く」をするように、「ただ読む」を心がけているのだと思います。自分に興味が向いていると、本にかかわらず、見えるものに自分を投影してしまい「ただ読む」ができないので、本が読めなくなるのだと思います。
「ただ読む」をした結果、自分から湧き出てくるものが見つかるのも、誰かの話を聞くのと同じです。
本を読むスピードは、どうだろう、もしかしたら比較的早いかもしれないけど、読みたい気持ちがノッたときしか読まないからかな。読めない時期もあるので、年間を通して見たら、そんなにたくさんは読んでいないと思うな。
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前回の日記で、コロナ禍でうまれた新しい関係性について、蘭ちゃんはラジオとカウンセラーさんとをあげていました。
わたしにとっても、ラジオは関係性が変わったもののひとつです。以前からときどき聴いていましたが、ここ2年ですっかり欠かせないものになりました。外出の自粛に伴い出かける機会が減ったので、運動不足にならないように遠くのスーパーに買い物に行ったり、近所を散歩したりするようになりました。そのとき、いつもラジオを聴きながら歩いています。ときにニヤニヤし、ときに爆笑しますが、マスクをしているので気になりません。今では、聴きたいラジオのために散歩に出かけて歩くほどです。
そういえば、以前クッキー屋の現場に入っていたときは、開店前や閉店後の作業中にラジオを聴いていました。今は、文章を書いたり人と話すことが仕事になったので、仕事をしながらは聴けません。椅子に座って黙って前を向いて聴くのも苦痛だし、なにか単純作業をしながら聴くのがちょうどいいのでしょうね。わたしは、今は歩くこととラジオがセットですが、他のリスナーたちはそれぞれ何をしながら聴いているのか気になるところです。蘭ちゃんは、ラジオは何とセットですか?
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ここ1.2年でできた関係性について考えてみたら、新しくうまれたものよりも、関係性が変わったものが多くありました。